[タベサキ Vol.8]
もし村上春樹が食べ歩きをしたらぶらり、村上さんぽ

チーズケーキ

東京都

2019.10.30

タベサキ

文体模写の鬼才、菊池良氏が、村上春樹風の食べ歩き記事を書く連載、第8回。フランスで展開している人気のチーズ専門店が提供するチーズケーキを食べに。

イラスト：中根ゆたか

ガトー・フロマージュ　ミ・キュイ（ハーフ）

「ガトー・フロマージュミ・キュイ」

スパゲッティを茹でながら、僕はそうつぶやいた。火曜日の朝だった。その声を聞いて、ベッドのなかにいたガール・フレンドが顔をあげた。
「ガトー・フロマージュミ・キュイ？」と彼女は聞いた。

「そうだ」と僕は言った。それはチーズケーキの名前だった。起きたときからそれが食べたかったのだ。低温でじっくりと焼き上げたチーズケーキで、長方形のやや厚みのある形状をしている。フォークをさしこむと半生で少し堅さがあり、口のなかに入れると濃厚なチーズの甘みが広がるケーキだった。

「ガトー・フロマージュミ・キュイ」ともう一度言った。「それが僕のレーゾン・デートルだ」

そのチーズケーキが売っているのは麻布十番にある「ベイユヴェール」という店だった。フランスで展開しているチーズ専門店が日本に進出してきたのだった。僕たちは朝食を食べ終わると地下鉄に乗った。
「ビヤンヴェニュ」
僕たちが店に入ると店員はそう言った。どうやら「いらっしゃいませ」という意味のようだ。店内のショーケースのなかにはチーズケーキやチーズタルト、バターサンドが並んでいた。カウンターテーブルとちょっとしたソファーもあった。そこで食べられるのだ。僕はショーケースの向こう側にいる店員に「ガトー・フロマージュミ・キュイ」と口にした。

「店内で食べますか？」と店員は言った。

「店内で食べますか？」

店員の言葉を聞いて、僕の横に立っていた女が聞き返した。そして、彼女は僕の顔をじっと見た。何を言われているのか飲み込めていないようだった。僕は店員が言いたいことをすぐに理解した。

「消費税はテイクアウトなら8％、店内だったら10％なんだ」と僕は言った。

「うそよ」と彼女は言った。「そんなことってあるの？」

「うん」と僕は言った。「そんなことがあるんだ」

店の前を家族連れの旅行者が通った。十月にしては寒すぎる火曜日の午前だった。僕は家族連れを見ているようで、ほんとうは何も見ていなかった。

DATA

beillevaire 麻布十番店

住所
東京都港区元麻布3-11-8
TEL
03-6447-5471
営業時間
10：00～21：00
休日
無休

Profile

菊池良（きくちりょう）

ライター。学生時代に公開したWEBサイト「世界一即戦力な男」が話題となり書籍化、WEBドラマ化される。その後、WEBメディアの制作会社や運営会社勤務を経てフリーに。主な著書『世界一即戦力な男』（フォレスト出版）、『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』（宝島社）などがある。最新刊『芥川賞ぜんぶ読む』（宝島社）が発売中。