[タベサキ Vol.4]
もし村上春樹が食べ歩きをしたらぶらり、村上さんぽ

エクストラスーパーあまおうショートケーキ

東京都

2019.02.27

タベサキ

文体模写の鬼才、菊池良氏が、村上春樹風の食べ歩き記事を書く連載、第4回。今回は、ホテルニューオータニをぶらり。

イラスト：中根ゆたか

エクストラスーパーあまおうショートケーキ／3,000円

「十一時一〇分」とぼくは声に出してみた。右の手首に巻いたクォーツの腕時計も、ホテルの掛け時計も同じ時間を指していた。ホテルニューオータニのなかで、ぼくは立ち尽くしていた。

　彼女から「やっぱり行けない」と手紙がきたのは昨日のことだった。まるで台風が通り過ぎるように断られた。やれやれ。邪悪な空気を振り払うように首を振る。朝刊が何度か届けられるあいだに、彼女の気が変わったしまったのだ。

「考えてみれば、地球が一回転するあいだに、たくさんの男がふられるのだろう。ぼくはその一人にすぎない」

　ツイッターにそうつぶやくと、ぼくはレストランにはいった。落ちついた色合いの洋家具でかためられ、壁には日本画がかけられていた。ぼくの目的は一日限定一〇個だという「エクストラスーパーあまおうショートケーキ」を食べることだった。ウェイターに注文すると、ほどなくしてそれはきた。

　三角形に切られたケーキは通常よりもかなりぶ厚く、いちごの量も多かった。スポンジをたおさないようにフォークをいれて、口にはこぶ。どれだけ天才的なポーカー・フェイスでも、この純粋な甘さには顔をほころばすだろう。いくら食べてもしつこくない。大きめのケーキを一気に食べてしまった。ナプキンでくちびるを拭き、しばらく余韻をたのしんだ。近くのテーブルには品のよい二人組の女性が会食をしていた。そういう店だった。

　レストランを出て、ホテルから去ろうと歩き始めて、すぐにどこを歩いているのかわからなくなってしまった。
　このホテルの完全さは、客が迷うことで成立しているのだろう。たのしい時間が永遠にひきのばされるように。まわりには高い壁がめぐっていた。手紙をだした彼女も、このホテルのどこかでさまよっているのかもしれない。

　ぼくの横をしあわせそうなカップルが通りすぎた。なぜ笑えるのだろうか。彼らは知らないのか。もう先着一〇個のケーキが終わってしまったことを。

"THE END OF THE CAKE"