霊と聖を巡る旅

旅と創造

連載第17回


文・絵 小林エリカ

あたり一面真っ白な霧に覆われている。
浜を歩くとゆっくりと水が波打っている。
極楽浜へ辿り着いたときには、もはや私は自分が本気でどこか別世界にいるような心持ちになった。
青森県、恐山霊場。
バスに乗って三途の川の入り口附近へ向かう途中までは晴れだったのに、橋を越えた途端に霧が出てきて、雰囲気がありすぎだった。
そこに死者たちがいるといわれたら、そうかもしれないと思う。

東日本大震災後に書かれた「魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く」(新潮社)という奥野修司さんの本が良かった。
人は大切な誰かを失ったとき、霊でもいいから、会いたいと思うのだろう。

私は父を亡くしてから、霊が怖くなくなった。
というよりも、霊になってでも、父が会いに来てくれたら、ここにいてくれたらいいのにと、時々思う。
けれどいつまで経っても、霊も父もやって来なくて、会えないことがとても悲しい。

19世紀末、科学者のマリ・キュリーは夫のピエール・キュリーと一緒に、降霊会に参加していたことがある。
イタリアの霊媒師、エウサピア・パラディーノの降霊会である。
パリ、ソルボンヌ大学のシャルル・リシェはエウサピアに夢中で、そこにマリたちを誘ったのだった。
当時はまだ謎の多かった放射能の研究に、霊媒が訳に立つと考えたのかもしれない。参加者はいずれも科学者であり、ノーベル賞受賞者でもあるのだが。
ピエールはエウサピアの霊力でテーブルが浮かび上がるのを目の当たりにして、しばしその不思議に夢中になったらしい。
皮肉なことに、その後、ピエールは馬車に轢かれて死ぬのだが、マリのもとに霊になって戻ることはなかった。

人はどんなに頑張っても、いくら善行や努力を重ねようとも、やがて年老いるし、病にもかかるし、必ず死ぬ。
それを避けられる人はひとりもいない。
けれどそんな条理を覆したくて、人は奇跡を願う。

ポルトガルのファティマへ行ったとき、私も大勢の人たちと一緒になって聖なる湧き水をペットボトルに夢中で汲んだ。聖母マリアが降臨した地の泉。その泉の水を飲めば病が癒えると信じる人も多い。
私は土産物屋にずらりと並んだ聖母マリアのスノードームも買ったのだが、持ち帰る途中にガラスが割れてしまった。

この世は無常で不条理に満ちている。
だが、それでもそこに抗おうとする場所が存在し、どんなにしてもそれを克服し、なお生きのびようとする人の切実さが、私にとっては大いなる救いでもあり希望でもある。

小林エリカProfile
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)発売中。