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江戸城無血開城
~明治維新の舞台
東京

江戸城総攻撃の3日前、幕府の陸軍総裁・勝海舟は、官軍の西郷隆盛と会談。市民を守るために戦をやめ、城を引き渡すことを決めた。いまも語り継がれる江戸城無血開城の足跡をたどってみよう。

江戸城無血開城の会見の場 にちれんしゅうだいほんざんいけがみほんもんじ 日蓮宗大本山 池上本門寺

日蓮聖人入滅の霊場として、日蓮宗の十四霊蹟寺のひとつとされる寺で、倒幕軍の本陣が置かれていた。北側に位置する「松濤園」は小掘遠州によって造園された庭園で、1868年3月、江戸城総攻撃を前に、ここで西郷隆盛と勝海舟が江戸城無血開城の交渉をした。園内には、隆盛の甥・西郷従徳揮毫の「西郷隆盛・勝海舟会見の碑」がある。

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勝海舟と西郷隆盛の決意の場所 あたごじんじゃ 愛宕神社

天然の山としては東京23区内で一番の高さを誇る、愛宕山の山頂にある神社。神社に上がる急な石段(男坂)は、曲垣平九郎の故事にちなみ「出世の石段」と呼ばれている。江戸城明け渡しの直前には、勝海舟が西郷隆盛を愛宕山に連れて来て、江戸市中を見渡しながら、「江戸の町を戦火で包むことは避けよう」と話し合ったといわれている。

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西郷隆盛が愛した食べ物

スイカ

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西南戦争の激戦地
人吉
[熊本県]

政府軍による総攻撃により、西南戦争において激戦地となった熊本県人吉市。薩軍人吉隊の宿営地となった青井阿蘇神社、本陣の置かれた永国寺のほか、西郷ゆかりの地がいまも残されている。

薩軍が本陣を構えた古刹 えいこくじ 永国寺

1408年創建の曹洞宗の寺で、幽霊が出現したことで知られ、「幽霊の掛け軸」が残されている。毎年8月初めの「ゆうれい祭り」では、この掛け軸が公開される。1877年の西南戦争の際には、薩軍の本陣が置かれ、西郷隆盛も33日間滞在。戦火で本堂などが焼失したが、1891年に再建、2017年に改築された。境内には、西郷本陣跡記念碑が建つ。

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薩軍が戦勝祈願を行った神社 あおいあそじんじゃ 青井阿蘇神社

806年創建とされる。境内には国宝に指定された本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門の5棟があり、なかでも茅葺きの楼門は、桃山期ならではの華やかさと迫力が漂う。1877年の西南戦争では、隣接の「文化苑」にある「継承殿」が薩軍人吉隊の宿舎となった。神社では戦勝祈願と閲兵式が行われ、相撲大会で戦気を高め、出陣したという。

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西郷隆盛が愛した食べ物

あくまき

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