生誕、そして終焉の地
鹿児島
西郷隆盛が生まれ、そして命を落とした地、鹿児島。ゆかりの地が数多く残り、今も地元の誇りとして愛され続けていることが伝わってくる。街を歩き、維新のヒーローの生きざまに思いを馳せたい。
西郷隆盛・従道兄弟の誕生地 さいごうたかもりたんじょうち 西郷隆盛誕生地西郷隆盛とその弟、従道の生家の敷地は、楠の大木に囲まれた場所に石碑が建ち、周辺は小さな公園になっている。隆盛は明治維新の立役者として有名だが、弟の従道も幕末から明治維新の激動の時代に活躍した。甲突川の河畔にあり、東郷平八郎や大久保利通に関する石碑も近く、歴史散策の休憩スポットとしてもおすすめだ。
尊王攘夷派で京都清水寺の僧侶・月照上人を、幕府の追っ手から守るために薩摩へと逃れた西郷隆盛だったが、薩摩藩は幕府を恐れて月照上人を日向へ追放。1858年11月、追い詰められた2人は錦江湾に身を投じたが救出され、その結果西郷のみが息を吹き返した。その時介抱された家が再現されている。
873年、開国を拒否する李氏朝鮮に使節を送り、開国を迫ろうという「征韓論」で大久保利通らと意見が対立、鹿児島へ戻ってきた西郷隆盛。その翌々年には、西郷と行動をともにした陸軍教導団の生徒らと「吉野開墾社」を設立。昼は寺山の原野を開墾してカライモなどを植え、夜は学問に励み、一帯約39haを開墾した。
1873年の政変に敗れて鹿児島に帰郷した西郷隆盛が、1877年に西南戦争が勃発するまでの、悠々自適な4年間を過ごした屋敷跡。1,100坪の御殿造りの屋敷は西南戦争で消失したが、当時隆盛が使った井戸が残っている。現在は公園になっていて、元庄内藩の家老・菅実秀と語り合う銅像が建立されている
軍だったが、官軍の攻撃を前に解散せざるをえなかった。西郷隆盛の一行は鹿児島に戻り、城山に立てこもった。政府軍の城山包囲網のなか、西郷は桐野利秋、別府晋平、村田新八、池上四朗ら西郷軍の幹部とともに、この洞窟の中で最後の5日間を過ごした。
いまなお鹿児島のシンボル的存在である、西郷隆盛を偲ぶ銅像。鹿児島市出身の彫刻家・安藤照によって製作され、1937年に設置された。軍服姿で威風堂々と立つ銅像のすぐ横の「西郷隆盛銅像展望ホールK10カフェ」では、隆盛の曾孫・西郷隆夫氏と、隆盛の義父・岩山八郎太の玄孫・岩松宏氏の話を聞くことができる。