「あの日を忘れない」。熊本地震の震災遺構と復興の歩み
2016年4月14日、そして16日と相次いで発生した熊本地震。熊本市内を中心に九州全域に大きな被害をもたらした地震から6年が経ちました。旅色LIKESメンバーで、当時自宅にて被災したというかっきーさんが、当時の状況と、復興が進む今の熊本の様子を伝えてくれました。「今こそ行きたい」そう思えるはずです。
目次
◆この記事を書いたメンバー
かっきーさん
一人旅(国内外)、カメラ、ドライブ、食べることが大好き。 もっと知らない世界を見てみたい。 もっといろんな人に会って話してみたい。 もっといろんな食べ物を食べてみたい。 夢は自分の目で肌で耳で舌で世界中を体感すること。 熊本在住。熊本大好き!
「今でも鮮明」4月14日、16日に起きたこと。
4月になり桜も散ると思い出す日があります。
2016年4月14日、16日。平成28年熊本地震が発生した日です。
平成28年熊本地震とは気象庁の震度階級で最も大きい震度7を28時間以内に2度も観測した地震災害です。熊本県益城町で観測された揺れの大きさは計測震度6.7で、国内観測史上最大を観測しました。震度7を2回観測するだけでなく、余震も大変多く、地震発生から3ヶ月後の7月14日までに、震度6強を2回、震度6弱を3回、震度5強を4回、震度5弱を8回観測し、震度1以上を観測した地震は合計1888回にも達し、半年では4000回以上にも上ります。余震の恐怖から自宅で過ごさず車中泊をする人が多く、エコノミークラス症候群などの二次災害も問題となりました。その後「本震」に対し「前震」という考え方や、災害時の避難や車中泊を踏まえた備えなど多くの教訓を与えました。
当時も私は熊本に住んでおり、自宅で被災しました。
自宅は震度7を2度観測した益城町の隣町にあり、被害が最も深刻だった被災地には車で10分程度です。
少し、当時のことをお話ししようと思います。地震の記録を読むのがつらい方は写真が出てくるところあたりまで飛ばして頂いてもかまいません。
6年経った今でも当時のことは鮮明に覚えており、この先も恐らく忘れることはないだろうと思います。地震を思い出したり映像を見ると、胸の奥がギュッとつかまれたような感覚になり一気に体に緊張が走ります。
2016年4月14日 21時26分 前震
初めは小刻みの揺れから一気に経験したことのないような大きな揺れに襲われました。飛んでくるテレビ、消える電気、鳴り響く緊急地震速報。そばにあったクッションで必死に身を守り、その場を耐えました。
しばらくすると揺れが収まり、電気も復活。私自身一時パニック状態になりましたが、落ち着きを取り戻し家の中の被害状況を確認し、その日はリビングで家族みんなで川の字になって寝ました。
4月15日
当時私は病院の栄養士をしていたため、出勤せねばならず職場へ。通勤は橋やトンネルを通るため、通れるルートを探しつつ、かなり遠回りして出勤。道はうねりや地割れがあり、マンホールは突出し、橋は1m以上の段差ができているところも。
4月16日 1時25分 本震
バリバリという地鳴りとともに再び突き上げるような大きな揺れ。瞬時に布団をかぶり身構えます。昨晩にも大きな揺れを経験してたこともあり、意外と冷静でした。
またかと思いましたが、昨晩とは違い一向に揺れが収まらず、横揺れが続きます。
何度余震があったのか定かではありませんが、食器棚から落ち割れていく食器を見ながら、時折揺れる壁掛け時計で時間をみると、1時間近く揺れ続けていました。今回はさすがに電気は復活せず、ガスも水道もストップです。その後も何度も大きな余震があり、眠ることなく朝を迎えました。職場に出勤するため車に乗り、カーナビで初めて被害状況を映像で見て言葉を失いました。
ニュースで出てくるのは自分も良く知る町や建物ばかり……。
中でも熊本城の瓦が落ちていく様子は非常に胸が痛みました。
余震もずっと続いたので、自分が揺れているのか、地面が揺れているのかわからなくなってきます。病院食の調理では余震が来たらすぐにガスを消さなければいけなかった為、余震かどうかを確認する為に、仕事中は横に透明なボトルに醤油を入れたものを置き、その水面が揺れるかどうかで余震を確認していました。
慣れない災害食調理、配膳は職員総出で手渡しリレー。自宅や家族が心配な上、いつ余震が来るかわからない不安の中、スタッフ一丸となり病院としての機能を果たし続けた日々は今でも忘れません。
こうして1年に1回だけでも振り返り、日々の当たり前に感謝すること。二度と地震が起きないのが一番ですが、自然の力に人間は逆らうことはできないのでもしものために熊本地震の教訓を生かし、備えるのは大切だと改めて感じました。
「熊本災害のデジタルアーカイブ」があり、当時の様子や記録や検証、復興の歩み、語り継ぎ等を写真や映像で見ることができます。
前置きが長くなりましたが、ここからは写真が残っているものは当時の様子を記録として記しつつ、実際に訪れた熊本地震遺構や復興の歩みを紹介していきます。
今回は“熊本地震の記憶を未来へ遺し学ぶ回廊型フィールドミュージアム”「熊本地震震災ミュージアム 記憶の廻廊」を参考に旅しました。
【復興への歩み①】旧東海大学阿蘇校舎(地表地震断層、1号館建物)
本震では断層が校舎の真下を通り、広場には全長約50mにも及ぶ地表地震断層が現れました。地震発生が深夜だったため人的被害は免れましたが、校舎は移転を余儀なくされました。
現在では、建物の被害と断層を観察できる場所として一般公開され、地震遺構の拠点になっています。語り部ガイドさんが常駐されており、無料で案内してくださいます。
こちらは地表地震断層です。この断層は地表に現れている箇所だけでも約1km、相対的なズレ量は40~50㎝にも上るそうで、地震の凄まじさを目の当たりにしました。
断層が真下を通る校舎はひびが入り、階段と踊り場の間には隙間があり(写真右上)、学校用の耐震窓ガラスも割れ、窓枠も曲がっています。
太い鉄筋コンクリートが用いられていたにもかかわらず曲がってしまった柱。
駐車場があったところにも断層が現れていました。
校舎から見える小高い山では、大規模地すべりも起きたそうです。
私は一人で訪れたのですが、贅沢にも付き添いで約20分のガイドをしていただきました。語り部ガイドさんが「前回の約120年前に熊本大きな地震があったが、その形跡が全く残っておらず、熊本は大きな地震は来ないと思われていた。だから今回は、遺して、語って、後世に伝えていかなければいけない」とおっしゃっていたのが印象的でした。
・旧東海大学阿蘇校舎(1号館及び地表地震断層)
住所:熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽5435
開館時間:9:00~17:00 ※冬季は16:00まで
入場料:無料
休館日:火曜日、年末年始
【復興への歩み②】阿蘇大橋
本震によって阿蘇カルデラ外輪山の崖に大規模山腹崩壊が起き、横幅約200mが崩落した土砂に飲み込まれて阿蘇大橋も崩落しました。崩落した阿蘇大橋の橋げたは地震遺構として保存されており、今も見ることができます。
この阿蘇大橋の崩落によってお一人犠牲になってしまったことから、対岸には慰霊碑も建てられています。
奥に見える山が大規模山腹崩壊した外輪山です。
この山腹崩壊によって阿蘇へ向かう重要なラインである国道57号線も寸断されましたが、2021年に開通しました。
【復興への歩み③】阿蘇神社
阿蘇神社は全国に500社ある阿蘇神社の総本山で、日本三大楼門の一つです。熊本地震により楼門や拝殿が倒壊するなど甚大な被害を受けました。
こちらは、地震で倒壊した楼門。
拝殿も倒壊しました。
地震後少ししてから阿蘇神社を訪れたのですが、そこには信じがたい光景が広がっていました。地元の方のインタビューか何かで「この辺りはそこまで住宅の被害は大きくなかった。阿蘇神社が身代わりになってくださった」と話されているのを聴き、涙が出ました。
拝殿は2021年に修復が完了し、残すは楼門の修復のみとなりました。真新しい拝殿は木の質感が感じられ、より気持ちが引き締まる気がします。
拝殿は倒壊した箇所のみ修復してあるため、古き良き拝殿も併せて拝見できます。
そして、楼門は現在このようなお姿に。
この中で修復が行われています。外壁には倒壊してしまった楼門が等尺で描かれており、参拝している人と比べても楼門の大きさがよくわかります。来年2023年に修復完了予定とのことで、今から楽しみです。
阿蘇神社の参道にある門前町商店街にも人通りが戻りつつあるようでした。阿蘇神社の公式サイトでは実際には見ることができない楼門の修復の様子を写真で見ることができます。
・阿蘇神社
住所:熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
電話番号:0967-22-0064(阿蘇神社社務所)
参拝時間:6:00~18:00、<礼拝所>9:00~17:00
【復興への歩み④】熊本城
熊本城は慶長12年(1607年)に加藤清正によって築城されました。日本三大名城にも選ばれ、言わずと知れた熊本県のシンボルです。熊本地震によって、熊本城も天守閣や城壁など甚大な被害を受けました。熊本城の完全修復には20年要すると言われており、2037年ごろ復旧完了予定です。
住宅の修復や再建が優先されたため、熊本城の本格的な修復が始まったのは地震から約1年後でした。こちらは、その当時の熊本城です。大天守の部分を拡大してみると、瓦はほとんど落ち、鯱や窓は無く、照明か何かの配線がぶら下がったままです。
熊本城の「武者返し」と呼ばれる特徴的な石垣も崩れ、元の姿を思い出せないほどです。
2021年に天守閣の復旧が終わり、天守閣内部の特別公開も再開されています。復活した熊本のシンボルの美しく堂々たる出で立ちに、しばし見惚れました。
石垣の石は可能な限り元の状態に戻そうと、崩れた石垣は写真解析などによって全て番号をふり、順番に並べられて修復の時を待っています。
石垣が崩れたことで新たな発見もありました。写真では分かりづらいのですが、ある石垣の一つに観音菩薩像が描かれているのが見つかったのです。この観音菩薩像は石垣の表面ではなく、石と石が接している面に彫られていた為、この度の地震によってその存在が分かりました。描かれている面がきれいに研磨されていることなどから、元々は「板碑(いたび)」と呼ばれる仏像を彫って供養する石碑で、築城の際に彫られたと推察されています。石垣は元の場所に戻さないといけないため、レプリカを「復興石垣」として熊本城内にある加藤神社に奉納されています。
このように熊本城は天守閣は復活を遂げたものの、石垣などはまだまだ復興はこれからです。完全修復完了まであと15年、熊本城の復興の歩みを見届けたいと思います。
熊本にお越しの際にはぜひご覧ください。今こそ観てほしい熊本城があります。
・熊本城
住所:熊本県熊本市中央区本丸1-1
電話番号:096-352-5900(熊本城総合事務所)
特別公開エリア:公開時間 9:00~17:0(最終入園16:30)
入園料(熊本城のみ):高校生以上800円、小・中学生300円、未就学児 無料
休園日:年末年始
【復興への歩み⑤】熊本復興プロジェクト
熊本地震の復興の歩みとして、熊本出身の漫画家尾田栄一郎さんとコラボした
「ONE PIECE 熊本復興プロジェクト」を行っています。
熊本地震発生直後に熊本県出身の漫画家・尾田栄一郎さんから「必ず助けに行く」というメッセージが届きました。このメッセージを復興に向かう熊本の「原動力」としていくため、漫画『ONE PIECE』と熊本県が連携して立ち上がったのが復興プロジェクト「ONE PIECE 熊本復興プロジェクト~麦わらの一味、ヒノ国復興編~」です。
これまでも様々なプロジェクトが行われ、現在ではそれぞれの市町村の特性や被害状況に応じ、使命を持ったキャラクター像が続々と設置されています。
例えば、南阿蘇村に設置されたロビンの場合、「地震の被害や教訓を後世に伝承する震災ミュージアムの拠点整備が予定されている東海大学には、「考古学者」のロビンが駆け付けます。南阿蘇村の「復興」が花開くよう、歴史の語り部として研究を重ね、記憶と教訓を語り継ぐ手助けを行います」とあるように、それぞれのキャラクターに復興への願いが込められています。
熊本地震遺構を巡りながら、麦わらの一味にも会ってきたので一挙にドドンとご紹介します!
ジンベエ像も今夏設置が決まっているそうです(設置場所未定)。
上記の像たちは1日あれば全て巡ることができるので、熊本の新たな観光ルートにいかがでしょうか?
これからも麦わらの一味とともに復興という名の冒険は続いていきます。
おわりに
2022年4月14.16日で熊本地震から6年。被害が大きかった地域等では未だに道路整備や建物の修復が行われ、仮設住宅で暮らす方もいらっしゃいます。復興が進むとともに、あの時感じた日常の有難さや災害の恐ろしさの記憶は実際に熊本地震を経験した私でも徐々に薄れてきてしまいます。
変わってしまったもの、変わらないもの、新しくなったもの、残していくもの。未曽有の大地震を経て様々ありますが、今回震災遺構を旅してみてあの日を決して忘れてはいけない、地震の遺構や記憶を残して後世に伝え、今後の防災の意識や教訓にしていかなければいけないと強く感じました。
全体的にも長くなりましたが、熊本地震を経験したからこそ伝えられるものがあると思い、書かせていただきました。少しでも、今の熊本や復興の歩みを見て何か感じていただけたら幸いです。
最後に、熊本地方の地震により被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復旧、復興をお祈り申し上げます。