Plan No.2174
- 日帰り
関ケ原の戦いの舞台へ!岐阜で古戦場を巡る日帰り歴史旅
- 関ヶ原(岐阜県)
- 予算:5,000円〜
・旅行する時期やタイミングにより変動いたします。あくまでも目安ですので、旅行前にご自身でご確認ください。
・料金は1名あたりの参考価格になります。
更新日:2024/01/31
関ヶ原に点在する西軍の史跡を巡る
「天下分け目の戦い」の舞台となった関ヶ原。そんな古戦場に点在する史跡を、かつての西軍に注目して巡るのがこのプラン。決戦地に立つ「岐阜関ヶ原古戦場記念館」で関ヶ原の戦いを学んだ後、西軍を構成したそれぞれの武将の陣跡を巡り、合戦当時に思いを馳せながらお楽しみください。
こんな旅気分の人におすすめ
関ヶ原駅
徒歩約10分
SPOT1
家康最後の陣地跡に立つ記念館
岐阜関ヶ原古戦場記念館
「関ケ原古戦場グランドデザイン」に基づき、関ケ原の戦いのすべてが分かる拠点施設として整備が進められた施設。「グラウンド・ビジョン」や「シアター」「戦国体験コーナー」など、関ケ原の戦いを五感で味わう事ができる。
佐藤颯竜のおすすめポイント
- ★ 天下分け目の戦いとして名高い関ケ原の戦い。巨大な床面のスクリーン「グラウンド・ビジョン」、迫力ある映像で再現する「シアター」、全国を舞台に東西陣営に分かれて繰り広げられた大戦を映像体験にて、歴史的なシーンに迷い込んだかのような体験をお楽しみください! 映像展示の見学は、前日までの予約を推奨します
- ★ 関ケ原の戦いでは、その前後にわたってさまざまな人間ドラマが存在します。東西両軍のそれぞれの武将に思いを馳せつつ、関ケ原合戦図屏風など関連する遺物や勢力図・布陣図などの解説図を通し、実際に史跡を巡る前に学んでみてください
- ★ 岐阜県と関ケ原町は、ベルギー王国の「ワーテルロー古戦場」及びアメリカ合衆国の「ゲティスバーグ古戦場」と連携し、「世界三大古戦場」として魅力を発信する取り組みを行っているんです。2016年には世界古戦場サミットが開催され、古戦場の歴史的な意義と平和の尊さを発信していくことを再確認し、古戦場を通じた交流を続ける「世界古戦場サミット共同宣言」を表明しました。2階の展示室では、そんなサミットの様子が展示されています
敷地内を徒歩移動
佐藤颯竜のおすすめポイント
- ★ 戦国武将や関ヶ原の戦いをイメージした、ユニークなメニューが豊富なレストラン。イチオシは「武将カレー」で、石田三成の幟と徳川家康の幟が付いた、見た目も楽しめる絶品カレーです。甘味メニューも豊富で、武将をイメージしたパフェやドリンクも。お腹に余裕があったらぜひ併せてお楽しみください
- ★ 金・土・日・祝日限定のメニューで「関ケ原合戦定食」もおすすめ。白味噌や赤味噌、角餅や丸餅を使った合戦汁がセットになっています。合戦汁は週替わりで、西軍をイメージした白味噌・丸餅と、東軍をイメージした赤味噌・角餅を楽しめます
1スポットめまで徒歩すぐ
自転車をレンタルし、自転車約10分
佐藤颯竜のおすすめポイント
- ★ 岐阜関ヶ原古戦場記念館でレンタサイクルを利用しましょう。事前予約がおすすめです
- ★ 松尾山城は街道上の要地にあり、関ヶ原の戦いよりも前から存在したお城なんです。織田信長が近江(今の滋賀県)を平定したのちに廃城となり、長い間使われていなかった古城を石田三成が戦いの直前までに西軍の武将に改修させます。その時のものと思われる遺構のひとつが、主郭の南側にある枡形虎口(出入口)。その名の通り、枡の形をしている出入口にぜひ注目してみてください
- ★ 小早川秀秋は西軍の中でもトップ3に入る大軍を率いた主戦力で、その数なんと約1万5千。松尾山城はそんな大軍を収容するため、大規模に拡張されました。1万5千の大軍を想像しながら、残された遺構を見てまわると面白いですよ
- ★ 主郭である山頂からは、眼下に関ヶ原古戦場を見下ろすことができます。決戦当日、おそらく小早川秀秋もこの場所から戦場を見渡していたことでしょう。当時弱冠19歳であった青年は、この地で何を思い何を考えていたのか。古戦場を見渡しながら彼の気持ちに寄り添ってみてください
自転車約10分
佐藤颯竜のおすすめポイント
- ★ 大谷吉継は築城上手の名将でした。そんな彼が築いたこの陣は、若宮八幡宮の上の急斜面に築かれ、左右に空堀を巡らせた「山中の“城”」とも呼ばれるほどの堅固な要害でした。現在でも石碑の周囲をよく見ると、竪堀状の窪みや土塁上の高まりを確認することができます。ぜひ探してみてください
- ★ この陣にはもうひとつ面白い見どころがあります。それは正面が徳川勢の襲来する大垣方面ではなく、秀秋が布陣した松尾山の真正面を向いているところ。これは、吉継が当初より小早川秀秋の裏切りを予想し、戦うことを想定して備えていたと考えられます。松尾山の正面にあるこの地からは、小早川秀秋とその軍勢がよく見えたと思います。吉継はどんな景色を見ていたのか、思いを馳せてみてください
自転車約5分
佐藤颯竜のおすすめポイント
- ★ 宇喜多秀家は西軍最大規模となる約1万7千の軍勢を率いていました。秀家は戦い当日、西軍の主力として福島正則をはじめとした名将たちと激戦を繰り広げます。この地はその舞台となった場所。当時の情景を思い描きながら辺りを見てみてください
自転車約5分
佐藤颯竜のおすすめポイント
- ★ 関ヶ原の戦いは、南天満山に布陣する宇喜多隊に鉄砲が撃ち込まれたことを合図に、火蓋が落とされ始まりました。小西行長が布陣した北天満山は南天満山となりで、その瞬間をよく確認できる場所に位置していました。行長は開戦を味方に知らせるため、北天満山の山頂から烽火(開戦の合図)をあげます。これにより西軍すべての陣にて戦いが始まりました
- ★ ちなみに、山頂には軍が布陣できるスペースがなく、行長とその軍勢は山の中腹に布陣していたと考えられています
自転車約3分
佐藤颯竜のおすすめポイント
- ★ 関ヶ原の戦いにいて、誰もが知る有名な話といえば「島津の退き口」ではないでしょうか。この場所はその始まりの地。現在でも語り継がれる逸話の舞台となった場所です
- ★ 島津軍は、鉄砲の扱いが戦国屈指で巧妙であったことでも有名です。そんな島津軍が布陣したこの場所は、陣でありながら柵もなく堀も掘っていませんでした。1,000にも満たないわずかな軍勢でありながら、ほとんど数を減らすことなく、戦いの終盤まで健在していた島津軍。この地はその強さを物語る場所でもあります
自転車約3分
佐藤颯竜のおすすめポイント
- ★ 石田三成と島左近が布陣した笹尾山。関ヶ原古戦場を広く見渡せすことができるほど眺望が良く、ここまでに見てまわって来た西軍の各陣跡を望むことができます。松尾山の軍勢が駆け降りる様、その軍勢が敵ではなく味方に突撃する様、大谷隊の壊滅を決起点に次第に崩れ行く味方の様、この地からは戦局のすべてを望むことができたことでしょう。三成は各局面において何を思っていたのか、彼に思いを馳せながら古戦場を見渡してみてください
- ★ 「三成にすぎたる者」といわれた名将、島左近。その部隊を竹矢来(たけやらい:竹をあらく交差させてつくった囲い)の前面に布陣させ、三成は山頂に布陣して鉄砲や大砲を駆使して戦いました。そんな笹尾山には現在、竹矢来と馬防柵が復元され、戦い当時の情景を思い起こさせます
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