小林エリカの旅と創造

小林エリカの旅と創造

#39 地底
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階段を一段ずつ降りてゆく。
地下へ向かう。
踊り場から下を見下ろす。
階段はずっとずっと深い底まで
続いて見える。

私が子どもだった頃、光が丘団地のすぐそばでは地下鉄大江戸線の工事をずっとやっていた。
いつか遠い未来には新しい地下鉄が開通するらしい。子ども同士でも、近所の人たちともしょっちゅうそんなことを話し合った。そうしたら新宿までだってあっという間に行けるようになるよね。このあたりもすっかり便利になって人気の土地になるかもしれないね。
とはいえ、開通予定の年を聞いても遥か未来のことに思えて、なんの現実感もなかった。

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実際、地下鉄12号線改め大江戸線として開通したのは2000年のこと。私は22歳になっていた。
茶色の有楽町線、オレンジ色の銀座線、紫色の半蔵門線。この新しい地下鉄のシンボルカラーはピンク色だった。駅の表示に鮮やかなピンク色の輪が描かれていた。
真新しくつやつやしたホームも車両もピカピカで、地下は驚くほど明るい光に照らされていた。はじめてその地下鉄に乗った時、私はあの頃ずっと先の未来だと思っていた今を生きているのかと、感慨深い気持ちになった。今なお、大江戸線のあの深い深い階段を降りてゆくたびに、過去の自分に戻ってゆくような錯覚を覚えることがある。

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地下鉄大江戸線で築地駅を通りがかるたび、私はそこにいるはずのマグロを想う。
かつてその地下には「原爆マグロ」と呼ばれたマグロが埋められたらしい。時は1954年、アメリカがマーシャル諸島で行った核実験により「死の灰」と呼ばれる放射性降下物(吹き飛ばされたサンゴ礁)が降り、日本の漁船第5福竜丸が被爆した。その際、乗組員のみならず、その船に積まれていた魚たちも被爆したのである。

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当時の新聞記事(朝日新聞)を見てみると、「問題のマグロは三尾、そのうち一番放射性物質がついていたものは六・二ミリレントゲン時、サメは約5百貫あったがそのうち最高は九ミリレントゲン時」「魚市場では問題の魚五四二貫を同夜半市場内の片隅に埋めた」とある。具体的には「場外駐車場に運び出し地下二メートルに埋めた」らしい。

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地下鉄工事の際、土を掘り返したら「原爆マグロ」が出てくるのではないか、と噂されていた。けれど結局のところ地底からマグロやらサメやらの骨が出たというニュースはなかった。ガイガーカウンターであたりの線量を測ったかどうかまではわからない。いずれにしても、かつて埋められたはずの魚たちはいったいどこへいってしまったのだろう。

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私は今日もまた大江戸線の深い深い階段を降りてゆく。
やっぱりホームも車両もピカピカで、地下は驚くほど明るい光に照らされている。
そんな地底が私には、私が生まれるよりもなお過去の時間に繋がっているように思えてならない。

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小林エリカ
Photo by Mie Morimoto
文・絵小林エリカ
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)で第8回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。そのほかシャーロキアンの父を書いた『最後の挨拶His Last Bow』(講談社)、自身初となる絵本作品『わたしは しなない おんなのこ』など。