小林エリカの旅と創造

小林エリカの旅と創造

#35 あつい湯船につかる夢
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子どもの頃、私はいまなぜここに生きているのか、不思議でならなかった。なぜここで、ここではない、どこかではないのか。
テレビの向こうではじめて戦争というものを観たとき、なおのこと不思議だった。なぜあの子はあそこにいて、私はここにいるのか。
サラエボの街で銃撃から逃げて走っていた子どもは、私の持っているのとおなじスニーカーを履いていた。

私はもうずっと前になるがアンネ・フランクの足跡を死から生へ遡るように旅をして『親愛なるキティーたちへ』という作品を書いたことがある。
ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所、オランダのベステルボルク中間収容所とアムステルダムの《隠れ家》、ドイツのフランクフルト・アム・マインの生家。
そのひとつひとつの場所を辿り、アンネの日記を読んだ。

時は春だった。
収容所の跡地で、街の軒先で、生家の庭で、水仙の花が咲いていた。

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いま、東京の街の道端にも水仙の花が咲いている。
今年もまた、春がやってくる。
私は、春休みの旅行はどこへ行こうかと、うきうきしながら計画を立てている。
京都や奈良もいい。沖縄へも行ってみたい。あるいは、どこかの街の温泉地。
家や住む場所があり、自由にどこかへ行けることも、気ままに旅できることも、全然あたりまえのことじゃない。
旅は世界のなかの、限られた人だけができる、特別なことなのだ。

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アンネの日記のなかで、《隠れ家》を出たらやってみたいことを話し合うシーンがある。そのなかで、アンネの姉マルゴーの望みは、あつい湯船のお風呂につかりたい、というものだった。
私は、熱々のたっぷりしたお湯につかりながら、結局その夢さえ叶わないまま死んでいったひとりの人間のことを考える。

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アンネの足取りを死から生へ向かって遡りながら、私は何度も考えた。
もしも、あと一週間早く戦争が終わっていたら、もしも、あとひと月早く強制収容所が解放されていたら、もしも、あと何日か《隠れ家》が密告されずにすんだら。そうして、ようやくアンネの生まれた場所へたどり着いたとき、もしも、あのときだれもナチ・ドイツに投票しなかったら、それから十数年後、ひとりの少女は死なずにすんだのじゃないかと考えた。

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今、私が、私たちが取るひとつひとつの選択が、ひとりの人間を殺しもするし、生かしもする。
あの時から、私ははっきり知ったし、運命なんてものを信じなくなった。
けれど、それは絶望的なことではない。
私は、私たちは、これからの未来を変えることができるし、ひとりの人間の望みを叶えることもできるはずだから。

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小林エリカ
Photo by Mie Morimoto
文・絵小林エリカ
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)で第8回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。そのほかシャーロキアンの父を書いた『最後の挨拶His Last Bow』(講談社)、自身初となる絵本作品『わたしは しなない おんなのこ』など。