浅田政志の宿旅

旅の目的は、あの宿に泊まること―。別世界の宿泊体験を切り取る写真連載。第31回は、「手紙で十分だから」と連絡手段が郵便のみの宿。その潔さと裏腹に、去りがたき居心地のよさでした。
写真家 浅田政志の宿旅
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霞たなびく

Vol.31「苫屋」岩手県野田村

南部曲り家を改築した苫屋にお邪魔してまず驚くのは、囲炉裏から立ち上る煙。スモーキーな香りと湯気の白い霞が、しあわせの濃度かと思うほどにすてきな笑顔がここで生まれます。
いきているいえ
築160年以上の南部曲り家(母屋と馬屋が一体化した茅葺き屋根の古民家)を改築したそうで、屋根の上にも草木が茂っています。雨上がりには屋根から湯気が出ることも。この家、生きています。
ないのなら、つくってみせようホトトギス
苫屋を切り盛りする坂本さんご夫妻(充さん・久美子さん)は、ありのままを楽しみつつ、ないものを作り出す天才。収穫したケツメイシを使ったお手製のお茶は、香ばしくやさしい味わいです。
白ヤギさん?
ここには電話やネットも通じておらず、郵便が大切な連絡手段。毎日10:00ころに郵便屋さんが手紙を届けてくれます。出すべきハガキと郵便屋さんにおすそ分けするシイタケが人待ち顔です。
予約センター
久美子さんの日課は手紙を書くこと。宿の予約や問い合わせで届いたお便りにお返事をしたためます。「手紙の書き方や内容でなんとなく人柄が見えてくるのよ」。千里眼もお持ちです。
久美子さんに「お野菜をお願い」と言付かり、充さんはふらりと畑へ。自然栽培の畑を進み、よさそうなサイズのものを収穫し、腰に下げたカゴへ。なんとも贅沢な、唯一無二の食料庫です。
贅沢な食料庫
絶対おいしいやつ
苫屋さんは1泊2食付きですが、カフェをやっているのでランチを食べることも可能。この日は、鹿肉と豚肉をえごまの葉っぱで巻いたソーセージと、囲炉裏で焼いたかぼちゃパン(サラダ・コーヒー付きで1100円)。
時の流れに身を任せ
ここでは、人とモノで時の流れがあべこべです。人は時の流れをゆっくりと感じ、モノは早い時のなかを進みます。というのも囲炉裏の煙と煤で、ほとんどのものがあめ色になるため。ここにいるだけで人も味わい深くなりそうです。
弟子入り希望
宿を営む坂本さんご夫妻は、穏やかでカラリとした優しさ。おしゃべりしてもしなくても、思い思いに過ごす自由を受け止めてくれます。宿で知り合った人たちが仕事でコラボしたり、なかには結婚した方もいるそう。ここにないものもあるけれど、ここにしかないものがたくさんあります。

「苫屋」

豊かな時間、滋味あふれるごはんを目当てにする人も多い人気の宿。電話、テレビ、パソコンなどの電化製品はなく、坂本さんご夫妻に「不便じゃないですか?」と聞くと、本当に不思議そうに「そう?」と聞き返されて自分の常識がゆらぎます。裏を返せば、過ごし方は自分次第。手紙を書くことから始まる旅は、きっと想像を越えます。

住所 /岩手県九戸郡野田村大字野田第5地割22
料金 / 1泊2食付6,600円、11月中旬から4月中旬は7,150円

浅田政志
Masashi Asada浅田政志
1979年三重県生まれ。2007年に写真家として独立。2008年、写真集『浅田家』(赤々舎刊)で第34回木村伊兵衛写真賞を受賞。2020年、『浅田家!』として映画化された。著書に『NEW LIFE』(赤々舎刊)、『家族新聞』(幻冬舎刊)、『浅田撮影局 まんねん』(青幻舎)など。また、国内外で個展やグループ展を精力的に開催している。「三陸国際芸術祭三陸国際芸術祭『縦』」では2022年3月にかけて、映画『浅田家!』の舞台となった野田村を訪問し、イベントや撮影を実施中。
http://www.asadamasashi.com/