おしいれからはじまる冒険

旅と創造

連載第11回


文・絵 小林エリカ

家の中から一歩も外へ出なくても、私たちは本当は、どこまでも遠くへ行ける。
そう考えたとき、私にとって、おしいれほど魅惑的な場所はない。
絵本『おしいれのぼうけん』でねずみばあさんが現れるおしいれ。
ドラえもんが暮らすおしいれ。
そこは単なる布団をしまう場所というだけに留まらず、どこか遠い別の国へ繋がる、特別な場所に思えてならない。

布団を全部取り出して、おしいれの中へしのびこむ。
内側からそっと扉をしめる。
真っ暗闇がおとずれる。
こっそり盗み出した懐中電灯の光をつける。
何冊かの本を読んだり、日記を書いたりする。
おにぎりや、みかんを食べる。
ポテトチップスやチョコレートなんかのお菓子も欠かせない。
好きなときに寝転び、好きなだけ眠る。
子どものころの私は、そんなおしいれがあまりに好きすぎて、夏休みの間、何日間かをおしいれですごしさえした。
ドキドキするけれど、わくわくもする。
ちょっとした冒険だった。
さすがにトイレや風呂までは持ち込めなかったので、しぶしぶ外へ出なければならないというのだけが、難だったが。

ここではない、どこか遠くへ行きたい。
それはいつも私の夢だった。
そうして私が想うのは、アメリカ19世紀の詩人エミリー・ディキンソン。
彼女は、ひたすら部屋の中にこもったきり詩作にふけり、その詩の中で遥か遠くの地まで羽ばたいた。
アメリカ、マサチューセッツ州の小さな町、アマーストにある彼女の家を訪れたことがある。
私がそこを訪れたとき、あたりにはしんしんと雪が降り積もっていた。
ぴたりと閉ざされた木枠の窓の向こうに彼女が詩を書いた部屋があった。

私は勝手に想像してみる。
そこに、きっとおしいれはなかっただろうけれど、もしもあったとしたら、彼女はきっとこっそりそこへ入ったのではなかろうか。

新しい家に引っ越して、我が家にはもう、おしいれがない。
それがちょっと寂しい。
けれど、日本ではおしいれだが、外国ではそれがクローゼットなのかもしれない、とあるとき気がついた。
たしか、「ライオンと魔女」では衣装ダンスの向こうにナルニア国があるのではなかったか。
私もこんどはクローゼットにしのびこみ、ふたたび冒険をはじめてみよう。

小林エリカProfile
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)発売中。