あの人の旅カルチャー

作家 町田 康
“旅行は大嫌い。
書いたり読んだりすることが
自分にとっての旅行だから”
新刊『しらふで生きる 大酒飲みの決断』で
自身の禁酒生活をつづった町田康さん。
“町田康スタイル”の旅の話や
お気に入りの「旅本」について聞きました。
取材・文/嶌村優
撮影/高嶋佳代

エッセー『しらふで生きる 大酒飲みの決断』が11月に発売されました。本にはお酒をやめた理由として「気が狂っていた」とありましたが、禁酒してから約4年経ったいまでも同じ心境でしょうか?

気が狂っていたんでしょうね(笑)。酒が好きな人に酒をやめた話をする時、「あなたもやめたらどうですか?」って聞くと「そんな恐ろしいことは考えたことがない」と返ってきます(笑)。僕も食事に誘われて、目の前においしそうな魚料理が出てきた時、いまだに「これはどう考えても酒でしょ」と思うので、やっぱり気が狂っていたと。そして、今も気が狂っているんでしょうね(笑)。

今回の新刊はカバーのイラストも印象的でしたが、これはどんな意味が込められているんですか?

これはあるデザイナーさんの作品で、本にも書いた「正気と狂気のせめぎ合い」をイメージして採用されたそうです。この本の見所をよく聞かれますけど、いま見返すと目次が最大の見所ですね。これは迫力があってすごい。まさに「正気と狂気のせめぎ合い」。これだけ見ればあとは大体読まなくてもいいかも(笑)。

確かに、読んだ時に強烈なインパクトがありました。この本は禁酒がテーマですが、個人的には読んでいてふっと心が楽になるというか、胸に響く言葉も印象に残りました。

30年間も酒を飲み続けてきて、自分にとって酒というのは大きな存在。たぶん酒に支配されていた部分もあって、人生の楽しみとしていたものが、人生の目的になっていたと思います。楽しみと同時に苦しみもあった。これは僕の場合はたまたま酒でしたけど、人それぞれに自分の楽しみとしてあったはずのものが、いつの間にか負担になっていることもあると思うんです。それを立ち止まって見直すだけで、生きるのが少し楽になる。これを読んで、視点や見方を変えるきっかけになってくれればいいですね。

新刊の中でも少し出てきましたが、旅行はお好きですか?

非常に申し訳ないんですけど、旅行は大嫌いです(笑)。わざわざ旅に行かなくても面白いなというのがあって、昔のものを読んだり書いたりすることが、自分にとっての旅行。自分の脳内で精神的にトリップするというか。本を読むことでちょっと違う自分になれて、いろいろな世界へ行ける感じ。ただ、仕事柄いろんな所へ行きますから、現地へ行けば面白いこともあって楽しいんですけどね。

ちなみに思い出に残っている旅とかは……。

思い出……、そうだな……、ちょっと待ってください、今無理やり思い出してみるんで(笑)。バンドをしている時は全国をよくまわりましたね。でも一番楽しかったのは90年代に行ったベルリン。僕は観光地へはあまり行かなくて、スーパーなどで人を観察するのが好きなんです。ベルリンで水を買いにスーパーへ行った時、店員と女の人が議論しているんですけど、そもそも水とはなにかという話を議論しているんです(笑)。すっごい、この人たちは根底の話をしていると思って。同じベルリンで講演会に呼ばれた時、段取りが何もできていなくて、いろいろ準備していたら現地のある女性関係者が来て全員を集め、何かなと思ったら文学とはなにかという話を急に始めるんです。また根底の話だよという(笑)。

旅と言えば、町田さんは観光地の熱海に住まわれていますが、地元の人ならではの熱海旅行を楽しむポイントがあったら聞かせてください。

僕が熱海に住んでいるのは、なんとなくのんびりした雰囲気が気に入ったから。なので、この緩い感じを楽しんでほしいですね。旅で洒落たところに行くと、服もちゃんとしてマナーも守って、ということがあるけど、熱海ならそんなことをまったく気にせず脱力できる感じがおすすめ。どこに行ってもあまり決め事はなくて「なんとかなりませんか」っていう話し合いで物事が決まっていくみたいな(笑)。そんな所がいいのかなと思います。

町田さんご自身は積極的に旅にあまり行かないということですが、旅に行きたくなる本はありますか?

旅をしたくなるのか、旅がしたくなくなるのか分かりませんが(笑)、(実物の本を出しながら)まず一冊目は俳句で有名な山頭火が書いた『山頭火 行乞記』。西日本を中心に旅をしている昭和初期の本で、いまでも読まれる人が多い一冊です。その理由の一つとして、我々は社会的な規範、軛(くびき)という制約の中で生きているんだけど、山頭火は人間本来の自由を求めて各地を歩き、句を作っているんです。これを読みながらしみじみすると、自分も日常から離れて違う次元の旅をしたくなるんじゃないかと思います。

もう一冊は内田百閒の『第一阿房列車』。山頭火はお坊さんなので苦しい旅なんだけど、これはのんきな旅の本です。本来、旅はどこどこへ行くという目的があるんですけど、この方の旅は汽車に乗ることが目的。それだけなんだけど、なんでこんなに面白いのかっていうぐらい面白いことが書いてある。また、私のエッセーで「人生の寂しさは人生の目的にある」と書きましたが、それを実践している内田百閒の面白さがあるんです。これを読めば、旅行で何気なく電車を乗る時も視点が変わるんじゃないかと思います。これはおすすめです、山頭火はちょっとしんどいけど(笑)。

町田康さんが旅に行きたくなる本

『山頭火 行乞記』

『山頭火 行乞記』

種田山頭火、村上護/著
春陽堂書店
1,320円

俳人・種田山頭火の放浪する旅の日々をまとめた日記。「行乞(ぎょうこつ)といって、お坊さんがいろんな家を回ってお米や小銭をいただいて、木賃宿に泊まりながら旅をする話です。この人も僕と一緒で酒がすごく好きな人で、ある意味、酒で身を滅ぼしたと言えるかもしれません。本の中でも酒の話も出てきますが、たくさん出てくる句が見所の一つです」(町田)。
『第一阿房列車』

『第一阿房列車』

内田百閒/著
新潮文庫
605円

内田百閒が弟子を連れ、全国の汽車に乗る旅をつづった一冊。旅の様子だけでなく、戦後日本の復興や地方の良俗なども描かれています。「電車で大阪へ行き、到着しても用はないから反対側のホームの電車で帰って来る。自分と似たところもあって僕はこの方が好きなんだけど、地方の名物料理はほぼ食べない(笑)。変な理屈とか、とにかく笑いが止まらない」(町田)。
INFORMATION
『しらふで生きる 大酒飲みの決断』

『しらふで生きる 大酒飲みの決断』

30年間毎日酒を飲み続け、4年前に禁酒した作家・町田康の、禁酒した理由や、自身の断酒生活などをつづったエッセー。「気が狂っていた」という酒をやめた理由、禁酒をするために改造人間・仮面ライダーになろうと本気で思ったこと、「今も続く正気と狂気のせめぎ合い」など、禁酒と格闘する日々を描いている。さらに「楽しみの反対側には必ず苦しみがある」「人間は矛盾を根源的に身の内に抱えている生き物」「幸福はいつも不幸とともに存在する」など、胸に響く名言も続々登場。時には声を出して笑え、時にはしみじみとした思いに浸れる“町田節”全開の一冊!

町田康
2019年11月発売
幻冬舎
1,650円

Profile
町田 康
町田 康Kou Machida

1962年1月15日生まれ、大阪府出身。町田町蔵の名前で歌手活動を始め、1981年にパンクバンド「INU」の『メシ喰うな!』でデビュー。その後、俳優としても活躍。1996年に小説『くっすん大黒』を発表し、ドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞を受賞。2000年『きれぎれ』で芥川賞、2001年『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年『権現の踊り子』で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。近著は『猫のエルは』『記憶の盆をどり』など。

あの人の旅カルチャー

今月のテーマ「新しい一年、新しいスタート」 新たな一年の始まり。「スタート・新生活」をテーマに “目利き”が作品をセレクト。
新たな趣味を始める指南書や、挑戦する姿勢に前向きになれる作品も。

Book

  • 『神さまたちの遊ぶ庭』

    『神さまたちの遊ぶ庭』
    本屋大賞『羊と鋼の森』作者の、一年間の山村留学を描いたエッセイ。夫の夢のため福井から一家で引っ越した北海道のトムラウシは、一番近いスーパーまで37キロ! 日々の騒動が満載ですが、感動的なのは一年後。「住んでみたかった」が目的なら、故郷に戻れば満足は終わる。でも宮下さんは家族それぞれに残る「移住のあと」をかみしめます。旅先で暮らしたいと考えたことがある方におすすめ!
    宮下奈都/著
    660円/光文社文庫
  • 『決定版 御朱印入門』

    『決定版 御朱印入門』
    御朱印が大ブーム! お参りに帳面を携える方も多いですし、これを目当てに旅先を決める方も。本書はここではこんなデザインのものが、という寺院・神社・霊場別のビジュアル本で、美しい建物、風景とともにあらわれる文字と印の迫力に打たれます。山頂や天皇陵といった特別な場所でいただけるものの紹介や、マナーのページも読みどころ。新年を荘厳な気持ちで迎えるにふさわしい1冊です。
    淡交社編集局/著・編集
    1,760円/淡交社
  • 『富士山絶景撮影登山ガイド』

    『富士山絶景撮影登山ガイド』
    新年恒例と言えば、富士山越しの初日の出。本書は「周りの山々から富士はこう見える」という異色のガイドブックです。行き方、撮影ポイントがついているので「富士山そのものに登るのは大変だけど、周囲からの観賞、写真にトライしてみようかな」という山ガール、カメラ女子必見。雪景色、桜、紅葉、躍動感ある雲との共演で、違った顔を見せる日本一の山の絶景写真集としても楽しめます。
    渡邉明博/著
    1,980円/山と渓谷社
間室道子さん 代官山 蔦屋書店

代官山 蔦屋書店に勤める文学担当のコンシェルジュ。雑誌「婦人画報」の連載を持つなど、さまざまなメディアでオススメの本を紹介するカリスマ書店員。文庫解説も手掛け、書評家としても活躍中。

Movie

  • 『マダム・イン・ニューヨーク』

    『マダム・イン・ニューヨーク』
    これぞコンプレックス克服旅。英語が苦手な人は、共感値90%超えでしょう! 英語が喋れないインドの専業主婦が、家族に内緒でニューヨークの英会話教室へ。学ぶことで、失われかけていた自信や誇りをどんどん取り戻していく姿はストレートにグッときます。目標を持つこと、大事です! 年齢を重ねると新しいことにチャレンジする際、羞恥心やプライドが邪魔することもありますが、迷ったら飛び込んでみる方が早いと再確認。
    Blu-ray4,730円/DVD4,180円 発売中 発売元・販売元:アミューズソフト
  • 『四月物語』

    『四月物語』
    美しい詩の世界観に包まれている気分になれる岩井俊二監督の映画。大学進学のため故郷の北海道を離れて、東京でひとり暮らしを始めた主人公の長い旅ともいえる東京ライフが始まります。キャンパスや書店の風景、淡い桜吹雪に雨に見守られ踊るような傘。これを観た直後は、自分の瞳にマジックが! 何気ない日常が、アプリのフィルターをかけたようにノスタルジックな景色に早変わり。約60分の短編なので朝でも夜でも自分を癒したいときに見て!
    Blu-ray4,180円/DVD4,180円 発売中 発売元・販売元:ノーマンズ・ノーズ
  • 『ローマの休日』

    『ローマの休日』
    自分を変えるたった1日の旅。滞在時間よりも、どれだけ濃密な時を過ごせたかがポイントです。オードリー演じる王室の王位継承者の王女が、公務のストレス発散のため、身分を隠してこっそりローマの街へ繰り出します。そこで出会った新聞記者との束の間の恋の思い出が、なんともロマンチックで、後に王女の精神的な成長に結び付くという展開もよくできています。映画通りにローマの名所を回る“ローマの休日ツアー”は今でも大人気。
    DVD1,572円 発売中 発売元・販売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント
東 紗友美さん 映画ソムリエ

映画ソムリエとして、テレビ・ラジオ番組での映画解説や、映画コラムの執筆、映画イベントのMCなど幅広く活躍。映画ロケ地巡りも好き。日経電子版で「映画ソムリエ 東紗友美の学び舎映画館」を連載中。

※価格はすべて税込みです