猫たち

旅と創造

連載第7回

文・絵 小林エリカ

我が家の猫の名前は、水島と児島という。黒のキジトラと茶のキジトラの姉妹である。水島、児島というのは岡山県の地名だ。ちょうどその地名が描かれた看板の下で二匹を拾ったので、その名をつけた。

遡るは2005年のこと。『Krash Japan』という倉敷の街をテーマにしたバイリンガル・フリーマガジンに、まだ駆け出しの私もコミックを描かせてもらうことになり、まずは取材にということで、現地を訪れた。飛行機に乗り遥々訪れたはじめての場所。あれこれと計画をたてながら、赤星豊編集長と児島にある神社の前の道を歩いていたときのことである。取材をするより先に、出くわしてしまったのだ。

二匹の生まれたばかりの子猫。片手に乗るほどの小ささで、まだ目は青く、何も見えていないのだろう。炎天下のアスファルトの上で、雑草の種を体中にくっつけたままの格好でミュウミュウ泣いていたのである。
どうする?!
編集長と顔を見合わせた。しかし互いにその問いかけに答えるより先に、その猫たちを抱き上げていた。

かくして取材は、一気に猫! に変更になった。編集長と私は動物病院を訪れ検査をしたり、ペットショップを訪れて子猫用のミルクやらキャリーバッグを買うために奔走した(ちなみに編集長が自腹でキャリーバッグを買ってくれた)。
夜はホテルに宿泊予定だったので、猫の宿泊先を見つけるのも難儀だったのだが、倉敷美観地区本町通りにある古書店の『蟲文庫』の店主の田中美穂さんが猫を一晩預かってくれることになった(しかもそのたった一泊で猫たちはトイレのしつけを完璧に覚えて戻ってきた故、田中さんの神業には未だ感謝が絶えない)。

そんなこんなで、帰り道は飛行機のかわりに新幹線を予約してもらい、キャリーバッグに水島と児島を入れて、東京の家まで連れて帰った。

以来、我が家には、水島と児島がいる。二匹がじゃれまわる姿を見るたびに、その名を呼ぶたびに、私はあの場所のことを、それから殆ど見ることができなかった水島コンビナートだとか、児島のジーンズのことだとか、その数々を思い出さずにはいられない。
水島と児島。
はじめて訪れたあの地が、ものすごく親しいものになったような気がしたのに。

昨年、児島が心臓発作で死んでしまった。いま我が家には水島だけが母と姉と居る。みーちゃん、と呼ぶと如何にも猫らしいが、本名は水島である。水島は、缶詰のキャットフードしか食べないし、ネズミも追わない。ちょっと太り気味で運動が不得手なので、時々ジャンプには失敗する。
児島は、真反対の性格だった。人間の食べ物もなんでも食べたがったし、痩せていて、すばしこくって、ネズミや鳥を獲った。児島のことは、今なお時々夢に見る。水島は、今でも時々部屋の中を彷徨きながら、児島のことを探している。

小林エリカProfile
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)発売中。