旅で出会った大食いたち

旅と創造

連載第4回


文・絵 小林エリカ

確かに私は食い意地が張っているのかもしれない。
 子どもの頃、私にとってのご馳走は中華の出前ラーメンだった。あまりに好きだったので、私はそれをものすごく大事に食べた。すぐに食べ終わってしまうのがもったいなくて、ひたすら麺が伸びるのを待ち、ぐだぐだになったそれを一本一本啜(すす)るのが楽しみだった。

ある日、テレビでラーメンの大食い選手権が放送されていた。太った人から細い人まで男も女もずらりと並び、巨大などんぶりに入った10杯分のラーメンを食べきる、というチャレンジである。
 10杯分のラーメンというのは確かに相当な量で、どんぶりというよりはもはや壺という様相だった。麺は次第に伸びてゆき、挑戦者たちは苦闘を重ね、遂にはあたりが真っ暗になるもなお、一同揃って冷たくなったラーメンを食べ続けていた気がする(確かその大食い選手権会場は野外だったのだ)。
 結局、誰が何時間くらいでそのラーメンを食べきって優勝したのだったか忘れてしまったのだけれど、私はそれを観ながら、子ども心にそれをちょっと羨ましいと思った。
 ラーメン10杯食べ放題!
 ただ、挑戦者たちがそれを如何にも不味そうに食べていたのだけが、腑に落ちなかったし不服だった。そもそも、私はいつだってラーメンの麺をわざわざ伸ばして食べていたのだから。

私の中で大食いといえば、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』という小説の中に出てくる〈象おんな〉。確か彼女は、牛をまるまる一頭平らげるのだが、それが痛快だった。
 現実の方では、“The TSUNAMI(ツナミ)”こと小林尊。かつてニューヨークに住んでいたとき、私は彼のおかげで名字を覚えてもらうのに苦労しなかった。「私の名前はKOBAYASHIです」と言うと、いつも、「あ〜『ユージュアル・サスペクツ』の犯人ね」、と言われるか、あるいは、「あ! あの大食いの?! KOBAYASHI?! 」という答えが返ってきた。
 そう、あの「ネイサンズ国際ホットドッグ大食い選手権」で優勝した、かのTAKERU KOBAYASHIである。その名は、ニューヨークじゅうに知れ渡っていた。あまりに何度も彼の名前を返されたので、遂には私も伝説の大食い選手権「ネイサンズ国際ホットドッグ大食い選手権2001」の様子をYouTubeで観てみた。
 凄かった。
 これまで見た大食いという概念を鮮やかに裏切るものだった。彼のホットドッグの食べぶりは、そう、華麗。まわりでは巨体の男たちがひいひいホットドッグに食らいつくなか、彼だけは顔色ひとつ変えることなく、ほっそりとした身体を揺らし、リズミカルにするするソーセージとパンを平らげてゆくのだ。彼が食べたホット・ドッグの数はなんと12分間で50本! 最後は、もはやカウントが追いつかず、プラカードに手書きで数字が書かれていた。

すっかり感動した私は、Fトレインに乗り込み、その終点にあるブルックリンのコニーアイランド、ネイサンズ本店へまで行きさえした。駅前からビーチへ続く道沿いに店はあった。それほど広くない店内で、何の変哲もないホットドッグを手にした。マスタードとケチャップをたっぷりかけてそれを頬張りながら、心が震えた。
 これを50本は食べることができる気は到底しないけれど。

以来、私は「あの大食いのKOBAYASHI?!」 と言われるたびに、「そうなの! He is my brother(彼は私の兄なの〜)」と嘘をついてみせることにした。するとその瞬間、誰もが目を輝かせる(もちろんすぐに嘘だとバレるのだが)。
 大食い、というのはその背徳感も相まって、人を惹きつけてやまないものらしい。

私はホットドッグを堪能した後、ひとりコニーアイランドのビーチを散歩した。冬だったので、あたりは閑散としていて、ルナ・パークの観覧車も止まったきりだった。

私はもう、わざわざラーメンの麺を伸ばして食べたりしない。しかし、いまでも私は、「私の名前はKOBAYASHIです」と名乗るたびに、あのホットドッグの味と、大食いという魔術的な行為を思い出し、思わずごくりと唾を飲み込まずにはいられない。

小林エリカProfile
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。過去の歴史や記憶、放射能など目に見えないものをテーマに、小説、マンガ、インスタレーションなど多彩な手法で作品を手がける。