音楽が聞こえる旅

旅と創造

連載第2回


文・絵 小林エリカ

東京の千駄ヶ谷に素晴らしく美味しいカレー屋がある。繊細に調理されたカレー、完璧に焼き上がったナンやクルチャ、タンドリーチキンのようなベーシックなメニューからフィッシュヘッドや茄子のカレーなどといった変わり種まで、どれをとっても唸るような美味しさの店だ。シェフはとてもストイックな感じのする人で、店内が如何にもなインドらしさのないシンプルな造りなのも好きだった。
 ある日、カレー好きの友人を誘ってその店を訪れた、帰り道のことである。
「あの店のカレー、最高に美味しかったでしょ!」
断言する私に、友人は頷いた。
しかし、「けど……」と小さく呟きながら、友人は実に腑に落ちない表情を浮かべていたのである。私はこんなに美味しいカレーのどこに不満があるのか、くらいに思っていたので、やや不機嫌に前のめりになった。
「けど、何だっていうの?!」
友人は申し訳なさそうに、もごもごと切り出した。
「食べている間、落ち着かなくて。だって、あの音楽……」
聞けば、BGMに流れていた音楽が、飛行機の離着陸時に流れる音楽と同じなのが、気になって仕方がなかったのだという。
「なんだか、そわそわしちゃって……」
 確かに、思い返してみれば、あの音楽はJALだったかANAだったかの離着陸時に流れるのと同じものだった。友人はカレーを食べている間中、預けてもいない手荷物のことなんかが、ずっと気になっていたのかもしれない。そう思ったら、可笑しくなった。
 私は、ますますそのカレー屋のことが好きになった。旅気分まで味わえるなんて、なかなかない。
 しかし困るのは、以来、飛行機が離着陸を繰り返すたびに、あのカレー屋のカレーを欲して止まないことである。

音楽は、いつもどこでも、私を旅に連れ出してくれる。実際の旅の途上で聞く音楽というのも、また格別だ。
 パリから電車で2時間ばかり離れたノジャン・シュル・セーヌという田舎町にアーティストたちが滞在制作できるレジデンスがあり、3ヶ月ほどそこのお城(!)に滞在したことがある。すぐ目の前にはセーヌ川が流れ、田園風景が広がる素晴らしい場所だった。ダイニングには、なかなか上等なグランドピアノが置かれていて、休みの日の午後には、村に住む19、20歳の男の子たちが、それを思い思いに弾きに来た。
 金髪のくしゃくしゃの髪にハンチング帽をかぶり、鼻にそばかすがある少年たちが、城の壁を乗り越えてピアノを弾きに来る様は、完全に少女漫画の世界そのものであった。また、どの少年もピアノがそれほど上手ではなくて、万国共通「エリーゼのために」のサビなんかをちょっと弾いては躓いて、というのを繰り返していた。
 下手なピアノの音が、あれほど魅惑的に響く場所を、私は他には知らない。
 美しい景色や、素晴らしい天気、のんびりした雰囲気なんかも相まって、それは最高のBGMに、いや、メインのテーマ曲にすらなっていた。お城へやってきていた誰もが、その音楽に、少年たちに夢中になった。
 少年のうちの誰それと恋に落ちただとか、やっぱり別れただとか、そんな話が絶えず持ち上がっては消えていた。ピアノの音を聞くたびに、誰もが浮足立った。私にだけは、恋も甘い噂もなかったのは、いまとなっては残念な気さえする。

それにしても、あれは不思議な場所だった。
 ずっとむかしから変わらない暮らしを営む村の人々と、石造りの城。そのシャンパーニュの野の真ん中には、巨大なふたつの原子力発電所の煙突が聳え、いつもその煙突からは真っ白な煙が天へ向かって立ち昇っていた。
 あの美しい少年たちは、いまなお、あの村に暮らしているのだろうか。彼らが30過ぎの年に差し掛かろうとしているのだと思うと、不思議な気持ちになる。
 ひょっとしたら、彼らのピアノはいまやずっと上手になっているかもしれない。

小林エリカProfile
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。過去の歴史や記憶、放射能など目に見えないものをテーマに、小説、マンガ、インスタレーションなど多彩な手法で作品を手がける。