- 1泊2日
- 1日目
鹿児島文学旅行Part1──向田邦子「故郷もどき」追体験
鹿児島(鹿児島県)
予算:20,000円〜
・旅行する時期やタイミングにより変動します。あくまでも目安ですので、旅行前にご自身でご確認ください。
・料金は1名あたりの参考価格で、宿泊施設は1泊朝食付き週末料金を参考にしています。
更新日:2025/03/17
代表作「阿修羅のごとく」が是枝裕和監督によってリメイクされ、令和の時代に甦った向田邦子。女性の視点から昭和の家族と生活を描いてきた直木賞作家の原点は、少女期を過ごした鹿児島にありました。彼女が「故郷もどき」と呼んだ景色に、貴方は何を思い感じるでしょうか?
鹿児島中央駅

鹿児島中央駅

上空から見ると、新幹線と在来線が直角に配置

日本に2カ所しかない観覧車付き鉄道駅(現地にて撮影)
九州新幹線の終着駅にして、鹿児島の玄関口と称されるJR駅。2004年、九州新幹線の部分開業に合わせて、それまでの「西鹿児島駅」から改称された。JR鹿児島シティの運営する駅ビル「アミュプラザ鹿児島」が併設されており、巨大な観覧車がランドマークとなっている。

鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ 日本に2つしかない(3つの説もある)観覧車を持つ鉄道駅です。NPO法人文学旅行調べでは、巨大な観覧車を併設する鉄道駅は、ほかに伊予鉄道の松山市駅のみ。では、なぜ3つの説があるかというと、東急蒲田駅の東急プラザにあるちっちゃな観覧車を数に入れるかどうかで説が分かれるのですよ(笑)
- ★ この観覧車は、併設されている駅ビル型商業施設「アミュプラザ鹿児島」による運営。直径約60m、最大高91mの大観覧車で、ゴンドラ数は36基。そのうち2基が身障者対応、2基がシースルー(透明)仕様で、1回転の時間は約14分30秒。桜島はもちろん、錦江湾、市街地を一望できます。あー、もう乗りたくなったでしょー
- ★ さあ、観覧車から眺望するように、これから向田邦子さんの見た鹿児島を俯瞰(ふかん)していきましょう。以下に続く旅の行程は、実をいうと私たちNPO法人文学旅行にとっても感慨深いコースなのです。その理由は……文学旅行note:https://note.com/airplane_deer にて、ぜひ

鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ 最初に訪れる場所は、向田邦子さんが通学した小学校です。「山下小学校」では現在でも、向田さんのような優れた文章を書けるようになってほしいという思いから、毎月、子どもたちの日記などから優れた作品を選出し表彰しています。画像の掲示板がそれで、素晴らしい取り組みですね
- ★ 校訓の「負けるな〜いじめるな」は、薩摩藩に伝わる藩訓であり、江戸時代から続く「郷中教育」の精神といわれるものです。西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎といった明治を駆け抜けた英傑(えいけつ:才知の人並み以上にすぐれていること)たちの持っていた「薩摩の士風」が色濃く息づいているようで、もうそれだけで感動してしまいます
- ★ 薩摩の郷中(ごじゅう:薩摩藩の青年組織)では、勉強ができるとかお金持ち(家禄が高い)とかではなく、さわやかですがすがしい心根を持つことを第一とした、といいます。そして弱者や年少者へのいたわりのない者を軽蔑しました。薩摩では、たとえ無学であっても少しも不名誉にはならず、晴れやかな人格でないことこそ不名誉であるとされたのです
- ★ 向田さんにとって鹿児島は、父親の転勤で2年間暮らしただけの土地であり「ふるさと」ではありません。それでも少女期から思春期の入り口まで暮らした鹿児島の風土──目にする風景、耳にする言葉、口にする食べ物 etc.──は、強烈な印象と思い出を向田さんに残しました。長じて直木賞作家となった自身を振り返り、向田さんはこう記しました。「人の気持ちのあれこれを綴って身すぎ世すぎをしている原点──というと大袈裟だが──もとのところをたどって見ると、鹿児島で過ごした三年間に行き当たる。」
- ★ 向田さんにそう振り返らせた鹿児島。そこには何があるのでしょうか?

鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ 向田さんは自著で「長く生きられないと判ったら鹿児島へ帰りたい」と述べ、後に2泊3日の「鹿児島感傷旅行」(全集に収録)を実現させます。この旅行で向田さんは鹿児島の地を「故郷もどき」と呼び、思い出の場所を訪れてゆきます。「照國神社」もそのひとつでした。「小学校4年の私は、この境内で行われた紀元二千六百年の祝典で、お遊戯をしている。」と振り返ります。しかし境内にかつての姿はなく、コンクリートが敷かれ駐車場も完備されて、記憶よりも狭くなってしまったと述懐します。そして、あれもなくなっている、これもなくなってしまった……と鹿児島の変わりようを、やわらかな言葉で嘆くのです
- ★ 貴方にも同じような体験はないでしょうか? 大人になって訪れると、子どもの頃に感じた規模とはまったく違い、対象が小さく感じるようなことが。子どもの頃は、世界が大きく、時間の流れもゆるやかで長く感じた……ものですよね。しかし、向田さんが本当に嘆きたかったことは、建物という物理的なものがなくなってしまったことだけだったのでしょうか。その文章を読んでいくうちに、もしかしたら目には見えない、何かとても大切なものが……失われてしまった喪失感を嘆いているのではないか、と思えてきます
- ★ ところで、鹿児島には県民から「ロッガッドー」と親しまれている夏祭りがあります。文字は「六月燈」と書き、旧暦6月(現在の7月)に県内の神社や寺院で行われますが、照國神社のものが最大規模になるそう。夏にまた来るぞー!
かごしま近代文学館(併設・メルヘン館)
かごしま近代文学館(併設・メルヘン館)
常設展示(現地にて許可を得て撮影)
企画展の様子

向田邦子の世界

鹿児島ゆかりの作家(林芙美子)
朗読の時間
鹿児島の文学の魅力を多面的に紹介し、地域の文化に触れることができる貴重な施設。鹿児島ゆかりの作品や作家たち──向田邦子、椋鳩十など、28人に関する展示が行われている。なかでも向田邦子の展示はオープン当初から注目され、その充実ぶりに多くのファンが来館する。

鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ 今回のメインスポットに来ました。華やかなテレビ業界で活躍し、脚本家として名を馳せた向田さんは、東京・南青山のマンションで3匹の猫と暮らしながら、都会の生活を楽しみます。その知的で洗練された生き方が女性誌などで報じられると、彼女は昭和の多くの女性たちにとって憧れの存在となっていきました
- ★ かごしま近代文学館では、その南青山のマンションの一室を実物の調度品で再現しており、常設展示しています。よくここまで収集できたなと思うような品まで展示されているのですが、その背景にはちょっとした逸話があるんです
- ★ ──1981年8月、向田さんは台湾の航空機墜落事故で急逝します。それから17年後の1998年にオープンする同館は、開館に際して向田さんの常設展示を目玉のひとつに据えたいと考えました。そして開館に至るまでの過程には、人と人を結ぶ人情の機微があり……この続きは長くなるので、NPO文学旅行のnote:https://note.com/airplane_deer にて、ぜひ
- ★ ひとつ言えることがあります。向田邦子さんは東京・世田谷の生まれですが、父親の転勤にともなって日本各地を転々として育ちます。それはいわば故郷喪失(ハイマートロス)です。不肖・私も高度成長期以降の家庭に育ち、核家族で引っ越しばかりの、故郷を持たぬ、いわゆる根無し草なので、同館の展示から向田さんが鹿児島を「故郷もどき」とする気持ちを、痛いほど受け取ってしまうのです

鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ 南九州最大の繁華街といわれる場所です。現地に来るまで「天文館」って何やらロマンチックな地名だよなぁ……と想像をめぐらせていたのですが、聞けば、地名としては存在しておらず、あたり一帯をボヤ〜とそう呼んでいるのだそう。このあたりも、明文化・成文化されない“伝統”あるいは“こころ”が受け継がれている感じがして、実に良いんですよねー
- ★ 向田さんのお父さんは、この天文館にあった「金港堂」と「金海堂」という2軒の書店から、よく本を取り寄せていたといいます。前者について詳細は不明ですが、後者の金海堂は現在も市内各所で書店を経営しているようです。だたし、繁華街であるはずの天文館に書店はありませんでした。もはや絶滅危惧種となってしまった感のあるリアル書店、苦境は続くと思いますが、私たちはどこまでも応援していきます
- ★ 向田さんは“故郷もどき”の旅で、「あれも無くなっている、これも無かった」と、寂しさを記述していきます。その喪失感は物理的なものだけだったのでしょうか? それともスポット2で見たような伝統的な精神風土そのものが消えてしまうことに、寂しさの向こうにある人間の業のようなものを見ていたのではないか、と思ったりするのです。天文館を歩きながら、これから中心市街地は──商店街は、どのような変遷をたどることになるのかな、などと考えたりして
- ★ 天文館は、片屋根型を合わせて約2kmにも及ぶアーチ型のアーケードが大きな特徴だといいます。これは雨や桜島の降灰だけでなく、夏の強い日差しを避ける役目を担っているんです。さて、今夜は何をして遊びましょうか……自撮り画像がすべて夜なのは……あっ、察してください(笑)
味の六白

味の六白
ランチの六白ヒレ(現地にて撮影)

これが「キャベ丼」(現地にて撮影)

入り口(店舗は2階です)
1991年創業の、天文館に店を構えるトンカツ専門店。鹿児島グルメの代名詞である「六白黒豚」が味わえる。ほかにも、お茶由来の成分であるカテキン、サツマイモ、ビタミンEを多く配合した専用飼料で育てられた「茶美豚(ちゃーみーとん)」を提供。

鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ 鹿児島に来たのだから、文学縛りから逃れて、地場の野趣あふれる黒豚を体験しましょう
- ★ 六白黒豚は鹿児島黒豚の中でも特に高品質で美味しいとされ、ほかの黒豚とは一線を画す存在となっています。鹿児島黒豚生産者協議会で承認された厳しい肉質等級と脂肪交雑(BMS)の基準をクリアしたもののみがブランド豚として認められています
- ★ 美味い! 旨い! とランチの六白を味わっていると、次々にお客が入ってきて叫ぶように注文していきます。……ん? 何か違うぞ。地元の人たちの注文をよく聞くと、多くのお客が「キャベ丼!」と叫んでいるようなのです。そろそろと周りを観察していくと、丼の上にまず山盛りのキャベツが敷かれ、その上にトンカツが乗っかっているではありませんか。艶のあるソースがおいしそうな光線を放っているではありませんか! えーそっちなのか! 早くいってよー(泣)
- ★ ……というわけで「キャベ丼」の画像は、同店を再訪した際に注文し直した一品でございます。われながら食に関しては執念深いと思います、はい

鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ お土産ターイム! です。鹿児島といえば、何をおいても薩摩揚げでしょう。「徳永屋本店」にはオリジナル商品「島津揚げ」があり、これは原料魚にキクラゲ・ゴボウを加え、島津家の紋章である丸に十の字を形どったもの
- ★ 向田さんも大好きだったらしいのですが、どの土地のモノでもいいというわけではなかったようです。なにせ、そのものずばり「薩摩揚」と題するエッセイのなかで──「私にとっての薩摩揚は(中略)鹿児島で食べたあの薩摩揚でなくてはならないのだ」と記しているくらいですから、よほど違うのでしょう。このエッセイには、普通なら見逃してしまうような、ちょっとした謎がありました。続けて引用します↓
- ★ 「土地の人達は薩摩揚とはいわず、「つけ揚げ」という。シッチャゲと少々行儀の悪い呼び方をする人もいた。」(「薩摩揚」より)。いくら鹿児島弁が聞き取りにくいとはいえ「つけ揚げ」がシッチャゲになるには距離があるよなぁ……と思いませんか? この謎というか違和感を考えながら歩いていると、ふと「島津揚げ」の発音が頭をよぎったのです。「シマヅアゲ」→「シッヅァゲ」→「シッチャゲ」 ……こっちではないか! と膝を打ちました
- ★ 徳永屋本店の創業は明治32年。向田さん一家が鹿児島に転居して来たとき、その生活圏の中に同店はあったのです。もし「シッチャゲ」が「つけ揚げ」ではなかったとすれば、これはエッセイ「眠る盃」と同じではないか──何をいっているかわからない方は、ぜひ全集(新版)6をお読みください。おすすめです
ぢゃんぼ餅 平田屋

ぢゃんぼ餅 平田屋

沢庵が付いてくるんですっ(現地にて撮影)

焼いている、焼いてる……

向田さんも推す店内からの眺め

お店の佇まいもよか(現地にて撮影)

甘辛のタレができるゾー
鹿児島に古くから伝わる郷土菓子を専門に扱う老舗。両棒餅と書いて「ぢゃんぼもち」と発音する。天保6(1835)年頃には鹿児島の谷山地域で販売されていたことが確認されており、礒地区では明治13年頃に作られるようになったという。

鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ ここで、名物のおやつにしましょう。両棒餅を「ぢゃんぼもち」と発音するのはなぜでしょうか。諸説あるようで、小餅に味噌と黒糖を煮つめたタレをかけ、食べやすいように小さい竹串を二本差したものであることから「両棒」=りょうぼう=りゃんぼう=じゃんぼ、と訛ったという説がひとつ
- ★ もうひとつは、鹿児島にある伝統的な遊び「ナンコ」に由来するという説。この遊びは、2人1組で対戦するもので、お互いが3本の棒を持ち、後ろ手に隠して棒を何本か選び、前へ出したときに2人の合計本数を当てるゲームです。このとき、2人が持つ棒の合計が2本の場合を「ヂャン」と表現します。つまり「2本棒」は「ヂャンボー」ということができ、竹串がさほど長くないことから「ヂャンボ」となる……という説などがあります
- ★ さらに、竹串はなぜ二本差しなのか、という点も「武士の刀=長刀と短刀の二本差しを模している」といった説があるそうです。西郷隆盛さんもよろこんで食べた記録があるとか
- ★ 向田さんは、母親が両棒餅を好んでいたそうで、休みの日になると家族でよくこの店を訪れたといいます。父親はもっぱらビールだったとか。貴方にとって家族との思い出の食べ物は何でしょうか? それはどんなシチュエーションで食したものですか? 小生にとっての「ぢゃんぼ餅」は、父と水泳の特訓をした帰りに寄った駄菓子屋の「麩菓子」です。そんなことを思いながら、甘辛いタレのかかった柔らかい餅を頬張ると、その味わいには昭和の香りが漂うのですよ(泣)

鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ スポット8平田屋さんの前に広がる錦江湾と、その海岸です。ぢゃんぼ餅を食べて一服したら、お店を出て海のほうへ出てみましょう。この海を向田さんは「細長い海」と題して描いています。地元の人は愛着をもって磯浜と呼び、向田さんは「ここから眺める桜島の美しさは、また格別である。」と記述しました。平田屋のお座敷は大きなガラス張りなので、そこからの景色もまた味わい深いものがあります
- ★ 向田さんは、磯浜に来て「結局変わらないものは、人。そして生きて火を吐く桜島であった。」と述懐します。確かに桜島の偉容を目の前にすると、“ああ、いい山だなぁ〜”と感嘆がもれてしまいます
- ★ 平田屋にぢゃんぼ餅を食べに来た子ども時代の向田さんは、やがて飽きてしまい店外へ出てしまいます。そのとき磯浜から揚がってきた漁師と出くわして、ある“事件”に遭遇します。このあたりの筆致には、絶妙な技がほどこされています。いってみれば、寂しさを表現するときには、逆ににぎやかな様子を描く、といったテクニックがあり……絶句
- ★ この海水浴場は遠泳大会が行われるなど、地元の人にとって親しまれている海です。なので県民の多くは家族などと遊びに来た経験があり、みんなと一緒に「ぢゃんぼ餅」を食べた思い出はデフォルトなのだ、といいます。良いですねー
かごしまプラザホテル天文館

かごしまプラザホテル天文館

レディースシングル(女性優先フロア)

女性用アメニティ

まんが図書館

平塚屋のさつま揚げ

鉄鍋味噌汁
鹿児島随一の繁華街・天文館にあるホテル。約50種類のメニューが揃う朝食バイキングでは、自社農場産の旬の野菜がたっぷり入った鉄鍋味噌汁、さつま揚げ、キビナゴ、黒豚味噌など、創業100余年の自社グループ「平塚屋」から直送された鹿児島の郷土料理が味わえる。

鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ 磯浜から、また天文館に戻ってまいりました。これから夜を迎えますからね。夕食の店を探すにも、夜遊びするにも、やっぱり天文館は便利ですから(笑)。というわけで、繁華街の中心に位置するビジネスホテルを今回の宿泊先に選びました
- ★ 「鹿児島感傷旅行」のなかで、向田さんは宿泊先のホテル名を記しています。しかしそのホテルは現在、移転計画が進行中なんです。そこで、マンガ本を揃えた本棚が決定打となり、こちらのホテルをチョイスしました
- ★ 今回の旅で、あらためて向田邦子さんの著作を──「父の詫び状」「眠る盃」──を読み返しました。エッセイの最高傑作という世評に、疑問の余地はありません。珠玉の名文集です。これから作文・論文の上達を目指す方は、何はなくとも本書を読むべし。かごしま近代文学館の学芸員であるIさんは「字のない葉書」が印象深いといいます。この掌編(しょうへん)は泣かせます。小生も、ホテルのベッドに寝転びながら読書するとしますかね、夜遊びせずに(笑)
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