高橋久美子の旅のメモ帳vol.1「熊本と宇宙ステーション」
作家・作詞家として活躍されている高橋久美子さん。著書『旅を栖とす』(角川書店)に代表されるように旅好きとしても知られています。旅の途中で気になることがあるとメモを取る癖があり、そこから作品が生まれることもあるのだとか。高橋さんがどんな視点で旅先や近所を歩き、作品の原石を見つけているのか、実際の旅のメモ帳に綴られた言葉から、心にとまった風景を教えてもらいます。
文・写真/高橋久美子
同じルートで旅をしても100人いれば100通りの旅がある。心に刻まれることや、もしかしたら見えている景色だって人によって違うのかもしれない。
私は旅に出るといつもメモを取る癖がある。単に貧乏性なのだ。初めての景色、懐かしい味、出会った人との会話、今だけの空気を書き残したいと思う。そこから詩になることもあるけれど、日記のようにたまっていくことが殆どだ。
それでも、過去のメモ帳をめくってみると、たった一行の走り書きから、むくむくと記憶が蘇りパズルができていくことがある。私にとっては数百枚の写真よりも、瞬間の熱を記したメモがその旅のハイライトを示している。
10年ほど前になるだろうか。私は夜の熊本市街を歩いていた。友人の結婚式に出席したあと、二次会には行かずネオン輝く街へ出てきたのだった。
気になって入った本屋とカフェの併設された「橙書店」は、落ち着くのにどこか尖っていて、そのバランスが心地がよかった。コーヒーを飲みながら凛とした雰囲気の女性店主と話をしていると「熊本は夜が面白いのよ。いいバーがあるから案内してあげる」と言って、女性は木枯らしの吹く1月の街をつっかけのまま歩きはじめた。店を出ると路地をぐんぐんと。私は、女性の後を追いかける。
路地裏の小さな扉の前で立ち止まると、「ここだよ。良い夜をね」と言って女性は帰っていった。私は、おずおずと扉を開く。薄暗い店内にまだお客さんは誰もいなくて、マスターが枝ぶりの見事な蝋梅を花器に生けていた。艶やかな匂いに満ちたその部屋は、小さいのに宇宙ステーションのように広大だった。さっきの女性店主同様、馴れ馴れしくない孤高の気高さを持っていた。私はカウンター席に座ると、ずらりと並んだお酒の中からよく知らないウイスキーを頼んでみた。目がまた開いてきた。たった3分前まで宿に帰って寝ようとしていたのに、私は宇宙ステーションで飲んでいる。
しばらくマスターと話をしていると、一人、また一人とお客さんがやってきて店内は賑わった。指輪を作ってもらったけど大きすぎたから作り変えてもらおうかしらと、大きな宝石のついた指輪をいくつもつけたおじさま。結婚するなら、どん底の時に乗り越えられる人かどうかで見極めなさいと話すおばあさん。月一で天草の診療所へ行っているというお医者さん。みんな熊本が大好きで、しばらく九州を旅する予定の私にお勧めの場所を教えてくれた。きっとすれ違うだけだった人たちと、一期一会の会話をしている不思議。宇宙ステーションは放課後の部室のようでもあった。
話していた人と席が離れていたので、隣の席に移ろうとすると、マスターに止められた。
「あなたはそこにいなさい。距離をあけて座るくらいがちょうどいいのよ」
今ならその感覚がわかる。近づきすぎないこともまた初めて入るバーでのマナーなのだと。30分もすると、「よい旅を」と言って人々はふわふわと出ていくのだった。
「みんな店に入った瞬間に次の店にいくことを考えているのよ」とマスターは笑った。熊本では3、4軒はしごするのがスタンダードなのだとか。
「熊本っていい街ですね」と私が言うと、マスターは「どこもそうでしょう。ちゃんと歩けばどの街も良い街なんだよ」と言った。さらりと。私は、社交辞令で発してしまった言葉を恥じた。その通りだと思った。ちゃんと感性の目を開いて歩けば、どの街にも魅力は溢れている。見つけられるかどうかは自分次第。マスターはそんな気持ちでこの店にいるのだろう。だから、温かい中にも空気が流れていて、客同士がさっぱりとした関係なのだろうと思った。
この人に憧れて人々はこの宇宙ステーションに集まるのだ。場所は人が作るものなのだと知った。
10時をまわったところで私は宿へ帰ることにした。ふわふわと店を出て、ああそうだ熊本だったんだと思った。まだまだ眠る気配のない街の、一つ一つのドアの向こうはそれぞれのコスモへと通じている。私は、宿に帰ってマスターの言葉をメモすると、あっという間に夢の中へ落ちていった。