“火を持った”村民が襲い掛かってくる。 その祭りが野沢温泉村を一つにする
厄年、恐ろしいです。
私は、酔って転んで、顔面からコンクリートの縁石にダイブし、くちびるが3倍に腫れ上がりました。
しかし世の中には、厄年になると村の祭りで「火のついた松明を手に、厄を落とすために襲い掛かってくる村民たちから、ヤケド上等で社殿を守らなければならない」男たちがいることを知りました。上には上がいるものです。
不思議だったのは、その過酷な祭りの準備に参加する男たちの顔が、皆ワクワクして見えたこと。
舞台は長野・野沢温泉村。毎年1月に行われる「道祖神祭り」での話。
その準備である「御神木伐り出し」の見学と今回の滞在を通して、私はパンフレットにも載らない、SNSの写真にも映らない、野沢温泉の「心臓」みたいなものを見た気がしました。これが、今野沢温泉が世界中の人を惹き付けている理由なのかも。
目次
この記事を書いたのは……
編集部エンドウ
地元民を困惑させるほどディープなローカルを掘り起こすことが生きがい。「どこにでもあるけど、そこにしかない」そんな場所が好みです。行く先々でなぜか面白い人たちに遭遇してしまうのは、元犬雑誌の編集部で犬たちに“嗅覚”を鍛えられたせいか⁉
飲み屋の壁にあった祭りの写真
人生4度目の、野沢温泉の夜。
私は「居酒屋さかい」のカウンターで、さきいかのバター炒めをつつきながら日本酒の志賀泉を飲んでいました。
とにかくお湯が好みなんですね。私が4度も野沢をリピートしている理由は「温泉」でした。野沢の温泉は、熱い。そのビリビリくるお湯が、身体中のすべての細胞をブワッと覚醒させる感じがして大好きです。
この日は、お父さんがいないからバタバタで……と言いながらさかいのお母さんは大忙し。マイペースに晩酌を楽しんでいたのですが、ふとお店の壁に目をやると、道祖神祭りの写真が飾ってあったので、接客が落ち着いた頃「今日御神木の伐り出しを見に行ってきたんですよ~」と話しかけてみました。そしたら、
「あらー!うちのお父さん今年惣代だから、みんなの前であいさつしてたわよ~」
って。そうです、さかいのお父さんがお店を留守にしていたのは、祭りの準備があったから。
さらに話を聞けば、居酒屋「さかい」の今は亡きお祖父さんは、戦争で一時途絶えた道祖神祭りを復活させることに貢献した人。フラッと入ったのが、奇しくも祭りに深い縁のあるお店だったのです。
規制を設けるほど人気になった村の祭り
野沢温泉の道祖神祭りは、300年もの歴史があり、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。「日本三大火祭り」のひとつともいわれていて、今では世界中の人々を魅了しているんだそうです。あまりにも人気になりすぎて、今では祭りを観覧できる条件を「村内の宿泊者」と「村民」に限定するほど。
村民たちにとっても道祖神祭りは冬の大きな楽しみで、誰に聞いてもその素晴らしさを熱っぽく語ってくれます。さかいのお母さんも、
「お祭りの写真、もっと見る?」
と、ニコニコしながら、何十年ぶんもの祭りの写真がアーカイブされたアルバムを引っ張り出してきてくれました。
まだ息子さんが小さかった頃の祭りの様子や、今とは少し違う祭り衣装の話。笑える写真、苦労がよみがえる写真。アルバムをパラパラとめくりながら、数えきれない思い出と、パンフレットには載っていないような祭りの話をたくさん聞かせてもらいました。私のテーブルの上のお酒は、2本目の「天龍 にごり酒」に突入。
話を聞けば聞くほど祭りへの思いは募るわけですが、じつは私はまだ「本物」の祭りを見たことがなく。そんな折、偶然か必然か、祭りの準備が10月から始まると知り、この日はひとまず「本物」への参加に先駆けてそちらを見学したというわけなのです。
10月、祭りに向けて村が動き出す
10月中旬の早朝、道祖神祭りの森。
まだ本番までは3か月ほどありますが、この時期に、祭りのメインステージである「社殿」を建てるために使う「御神木」を伐り出す日がやってきます。主役たちに混ざって、見学者もぞろぞろと伐り出し場へ。
伐り出す御神木は、あらかじめ村の代表らによって事前に決められたもの。まずは伐り出しが無事執り行われるよう、山の神と樹の神に拝礼したり、使う道具を清めたりといった神事からスタートします。
ただの見学者だった私にまで御神酒が振舞われて、妙に緊張。
祭りの主役は、その年に25歳と42歳の厄年を迎える村の男たち。御神木の伐り出しも彼らを中心に結成されたメンバーによって行われます。
よく見ると、皆さん背中に「〇〇会」と書かれたおそろいのつなぎを着ていました。渋いです。カッコいいです。なんでも、ヘルメットの色もさまざまあって、年代ごとにかぶらないよう、つなぎの色とコーディネイトされているとか。まるで戦隊ヒーローのようなまぶしさでした。
ドーンという地鳴りに一人、涙…
御神木の伐採は、「山棟梁」が指揮し、職人が行います。最初に伐る御神木はその年の「あきの方」と呼ばれる、いわゆる恵方に向かって倒すのですが、他にもたくさん木が生えている中で狙った方向に倒すってそれはもうすごい技術でした。
御神木が倒れる瞬間、静まり返った森の中に「ドーーーーーン」という音が鳴り響きます。地面が揺れ、周りの木が一斉にザワ、ザワ、と揺れ出し、上からは倒れた御神木から落ちた葉が大量のシャワーになってみんなの上に降り注ぎました。
木が倒される瞬間をリアルに見る機会って、じつはあんまりないと思うんですが、なんだかすごく「命」を感じます。命がゆっくりと大地に横たわったように感じて、感極まった私は一人で涙ぐんでいたのですが、皆さんは御神木が無事に倒れたことに安堵の表情を浮かべているようでした。
そしていよいよ、厄年メンバーたちの出番。
「ツルツルート、ヨイヤサノサー」
皆で手分けして縄をかけ、独特の掛け声とともに御神木は運び出されていきました。
以前は1月13日に行われていたという御神木の伐り出し。かんじきを履いた足で雪を踏みつけて道をつくりながら進んだそうで、
「伐り出した御神木を運ぶ時に、“ツルツルート ヨイヤサノサー”という掛け声をかけて運ぶのは、かつて雪の上を滑らせて運んでいた名残りです」
と地元のガイドさんが教えてくれました。
雪の中、今のように道も整備されておらず、防寒装備も手薄ななかで何度も往復しなければならなかった昔の伐り出しは、相当な苦労。それでも村の人たちにとって道祖神祭りは冬の楽しみだったから、焼いた餅を伐り出しに行った若者に振舞ったり、厄年ではない人も社殿づくりを手伝ったり、皆で協力し合っていたそうです。
祭りは最高の人材育成プログラム
「外から木を裁断するチェーンソーの音が聞こえてくると、嗚呼、今年も無事に伐り出し終わったんだな~ってホッとするのよ」
この日の御神木伐り出しの様子を話して聞かせた時、「居酒屋さかい」のお母さんはそんなふうに言っていました。祭りは厄年の主役たちだけではなく、その家族や村の人みんなでつくっていくものなんですね。
御神木の裁断作業をするのももちろん厄年の男たちが中心ですが、引退した人たちも無償で指導役をしたり、手伝ったり。強制ではなく、自然にこうした流れがあるようで、「祭りには人材育成の素晴らしい仕組みがあるんだよ」と、地元の方が教えてくれました。
ちなみに、昔は厄年として参加できるのは「土地で生まれた人」だけだったけど、最近は国内外問わず移住した人たちも一緒に入ってやっているんだそうです。
すごいんですよ、タイパ・コスパ至上主義のご時世に、こんなにたくさんの人たちが関わって、義務でもなければ別にバイト代が出るわけでもないのに、木陰でタバコをプカプカしたり、ケータイでゲームしている輩が誰一人いないんですから。村の人たちにとっては見慣れた光景なのかもしれないんですが、不思議で不思議で。
「大変だけど、終わってみたらみんなこの祭りの良さがわかるんですよ」
数年前に42歳の厄年を終えた地元の方が、そんな風に言っていました。子どもの頃怖かった先輩も、たいして仲良くなかった人も、祭りを通して新しい関係性が生まれると。目には見えないけど、祭りを通して得られる確かで大きなものがあると。
舞い上がる火の粉には、みんなの「想い」が乗っている
それにしたって、祭りの当日はもっと過酷なわけです。御神木でつくられる社殿の上に42歳のメンバーがあがり、25歳のメンバーはその社殿の下で、火を持って襲い掛かってくる村人たちから社殿を守る。防具を着ているわけでもない男たちが、火の付いた松明でバシバシ叩かれまくるんです。
今回の滞在中、温泉街をブラブラしているときに見つけたBarの入り口でも、野沢温泉の道祖神祭りのハイライト映像が流れていました。
日本三大火祭りの名にふさわしい大迫力映像。ヤケド?もちろんしますよ……。一生に一度のことだから、とみんな腹をくくっているようなのですが、それでもやっぱり実際に火で叩かれる息子さんを見たら「やめてえぇー!」と叫ばずにはいられなかったとさかいのお母さんは言っていました。
火をもって襲い掛かってくる村人と、厄年の男たちの攻防戦が終わると、最終的に社殿は燃えて崩れ落ち、周囲は拍手と安堵で包まれます。そうだ、さかいのお母さんがこんなことも言っていました。
「何人もの男の人が集まって祭りをやるとなると、中には気性の荒い人もいて、すっごい喧嘩になることもあるのよ。もう絶対あんなやつ嫌だなんて言って仲たがいしたり。でも、この社殿が崩れ落ちる瞬間、感激してそんなことみんな忘れちゃうんだって」
見た目の迫力に注目がいきがちな野沢温泉の道祖神祭りですが、本当の魅力は、その準備や裏側にある“人の物語”なのかもなあと思いました。祭りの日、野沢の冬の空に舞い上がるたくさんの火の粉には、覚悟とともに祭りに挑んだ主役たち、そのお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、友達などいろんな人のいろんな想いが混ざり合っていて、それが村を繋いでいるものの一つなのかもしれません。
野沢の野沢らしさをつくる人たち
Yama Barでナスキーと。
そういえば、数年前に来た時と比べて、今回の野沢温泉は盛り上がりを見せていました。
カフェも飲み屋さんもお土産屋さんも活気があって、宿を利用するお客さんもたくさん。お店の数自体も増えたような。スノーシーズンはもっとすごいですよ、と地元の皆さんは口々に言っていて、実際飲食店はどこも予約をしないと入れないくらいの大盛況ぶりなんだとか。(知らなかった~)
滞在最後の夜は、「Yama Bar」というクラフトビール屋さんで飲んでいたんですが、お店のスタッフのタイチくんは、本当は年間を通して人がいるようになってほしいんです、と言っていました。スノーシーズンが過ぎると閉めてしまうお店があったり、冬だけ長期滞在するための部屋を持っているというケースも多いそうで、そうすると、村のいろんなものが保てなくなってしまうんだと。
私の推し外湯は「滝ノ湯」です。緑がかったお湯に白&黒の湯の華。
例えば、旅人でも使わせてもらえる外湯(共同浴場)は私も大好きですが、そこがいつもきれいに保たれて気持ちよくお風呂に入れるのだって、村の皆さんが管理してくれているからこそ。それに、せっかく良いお店ができても、売り上げが安定しないと続けるのが難しくなってしまう。
旅行にしても、移住にしても、本当にいろんなバックグラウンドをもった人たちが集まってきている昨今の野沢温泉。関わり方も人それぞれですが、村の皆さんは本当に懐深く受け入れてくれるんです。だからこそ、外から来た人間はみんな「その土地に対するリスペクト」を大切にしなくちゃならない気がしています。
そうすれば、みんな自分がその土地とどう関わるべきかがわかるかも。旅するにせよ、住むにせよ。
滞在中、お酒の席で「野沢って、ちょっと三茶みたいなんですよね」と言っていた人がいたんです。東京でも人気の街・三軒茶屋、略して「三茶」。確かに、長野の山間にしては妙に垢ぬけたセンスのお店もあれば、ザ・ローカルな味わい深い居酒屋さんまであってなるほどなーと思いました。
でも同時に、野沢温泉が東京のどこかみたいだと言われるのは少し寂しい気もしました。そうなってほしくないし、そうはならなくて良い。野沢は、野沢らしい「癖」みたいなものを持ち続けてほしいのです。酔っぱらいがそんな自論を漏らした時、Yama Barのタイチくんはこう言ったんですね。
「いや、ここは三茶にはならないですね。野沢の人たちは、いろんな人を受け入れるし、村が盛り上がることも嬉しいですけど、“守るべきもの”はちゃんとわかってるんで」
しなやかで強いシビックプライドを見た気がしました。じつはほかの村民たちとおしゃべりしているときにも同じことを何度も感じていて、それがこの地域を守り輝かせているのだと感じました。私は、また次も安心して野沢温泉に来られそうです。Yama Barのビールはおかわり必至です。
冬も、「冬以外」も野沢に来る理由がある
御神木の伐り出し見学のほかにも、今回はゴンドラにのって山の上まで行ってブナ林を散策したり、そこからEバイクで温泉街まで下ってくる遊びをしたり、野沢菜の収穫や時漬け作りをしたり、おいしいものをたくさん食べたり、「foot」というBarで地元の皆さんとサッカーゲームで盛り上がったり。村の皆さんに、今まで知らなかった野沢温泉の楽しみ方をたくさん教えてもらいました。意外と雪がなくてもやることたくさんあって忙しい。
最終日の朝、外湯につかりながら、
「今日入る温泉は、60年前に山の上で降った雨かもしれません」
と、ブナ林散策の時にお話をしてくれた地元のガイドさんが言っていたのを思い出していました。
「森のダム」とも呼ばれているブナが蓄えた水が地下に染み込み、約20年で湧き出して「湧き水」になり、さらに深く染み込んだものは毛無山(旧火山)の地熱で温められ、50~60年後に湧き出して「温泉」になると。野沢温泉のおいしい水や、それでつくられる野菜やお酒も、みんなこのブナの森がはじまりだと。そして野沢温泉では、各所を巻き込んだ植林活動を通して、100年後のブナの森を守るプロジェクトも行っているんだとか。
土地に対してリスペクトを持つ。そうすれば、土地からたくさんの恵を得られるんだということも、今回の野沢温泉旅を通して実感したことのひとつです。
ということで、ぼ~っとお湯につかってたら、いつのまにか帰りのバスの時間ギリギリになっていて、大急ぎで支度をして村を後にしました。
そういえば、もう30年近く、仕事の合間をぬって英語を勉強しているという居酒屋さかいのお母さんが言ってました。
「海外から来るお客さんにもさ、“升の角にお塩を乗せて飲む”っていう升酒の飲み方を、教えてあげたいじゃない」
いろんなカルチャーの人が来るから、意思疎通がうまくいかないこともあるけど、それでもなるだけコミュニケーションをとりたいと思うし、せっかく来たんだから、いろんなことを教えてあげたいんだそうです。
伝わりましたか。もう十分伝わったか。野沢温泉は、そんなところです。
「居酒屋さかい」のお母さん・綾子さん。美味しいごはんと楽しいお話をたくさんありがとうございました!















