金継ぎの美学と黄金の糸が紡ぐ、人生のつながりを見つめた金沢・加賀の旅【石川県】
天井から降り注ぐ3万本の黄金の糸。割れた器を金で繕う伝統の技。一見関係のない二つの美が金沢・加賀で出会ったとき、私は「完璧でないからこそ美しい」という日本の美意識の深さを知った。FIL D'ORの幻想的な空間から始まり、350年続く大樋焼の茶室での静寂の時間、そして自分の手で金継ぎを体験する宿「界 加賀」での発見まで。1泊2日の旅路で出会った「つながり」と「不完全性の美」は、現代を生きる私たちに忘れかけていた人生の豊かさを静かに教えてくれた。
目次
天井から降り注ぐ「黄金の糸」――FIL D'OR
金沢駅から始めに向かったのは、レストラン「FIL D'OR (フィルドール)」。その名はフランス語で「金の糸」を意味し、螺旋階段を登った先には店名の通り、天井から降り注ぐ約3万本の黄金の糸が作り出す圧巻の空間美が広がっていた。建築家で陶芸家でもある奈良祐希氏が設計したこの空間は、まるで土の洞窟のような包み込まれる安らぎに満ちている。
空調によって糸がゆらゆらと踊る様子は、1/fゆらぎのような心地良さで、つい見上げてしまう美しさだった。今年の5月に移転オープンした同店は、元々は学生寮だった場所を改装。飲食店では曲線デザインは非効率と避けられがちな中、あえて既存建物の曲線を活かした間や余白を大切にした設計哲学に、奈良氏の美意識を深く感じた。
中学時代からの先輩後輩という絆で結ばれた奈良氏と田川真澄シェフが作り上げたこの場所は、「つながりを大切にする」というコンセプトそのもの。まるでアートが生きているかのような曲線美に包まれながら、金沢の豊かな風土への想いが静かに心に響いてくる。カウンターの向こうでパチパチと燃える薪火や風に踊る糸を眺めているだけで、時間を忘れてしまいそうになった。
田川シェフの料理は、まさに石川の風土を一皿に込めた芸術だった。前菜では「エンサイ(空芯菜のような青菜)の薪焼き」や「イチジクの薪燻製」など、薪の香りが口いっぱいに広がった。特に心に残ったのは、「赤イカの桜薪焼きと貝のミルク泡仕立て」。ミルクの泡を崩すと中から現れた食感の異なるカボチャが、イカの繊細な甘味と薪の深い香りが見事に響き合う。「中野さんのフレッシュトマトの手打ちパスタ」では、弾力ある麺が歯応え良く、トマトの酸味が夏の爽やかさを演出する。「石川県産真鯛のパイ包」は、パイの生地に包まれた魚の旨みが口の中でほろりと崩れ、ソースヴァンブランの上品な酸味が全体を美しくまとめていた。「鴨胸肉の薪焼き」は、分厚く切られた柔らかい肉の力強さとベリーソースの甘酸っぱさが意外なほど調和している。黄金の糸に包まれた空間で味わう一皿一皿が、この土地の豊かさを物語っていた。
時を紡ぐ茶陶の系譜――大樋美術館
館内に足を踏み入れると、350年の歴史を持つ大樋(おおひ)焼の器たちが静かに並んでいた。ろくろを使わず、手びねりで形づくられた器はどれも少し歪で、どこか人間らしい。飴釉の深い艶が、光を受けて柔らかく揺れる。大樋焼は江戸時代から続く茶陶の名門。加賀藩の文化と共に発展してきた歴史がある。11代大樋長左衛門の長男である奈良氏の案内で、歴代の作品を巡る。時代ごとに異なる作風、造形の癖、茶人との対話の痕跡。器はただの道具ではなく、茶の湯の精神を映す鏡だった。詫び、寂び、そして一期一会――そのすべてが器の肌に刻まれていた。
併設されている茶室(通常は非公開)でお茶席も体験。器を手に取ると、掌にすっと馴染むその感触に、器が私を受け入れてくれたような気がした。抹茶の香りが立ちのぼり、器の縁に唇を寄せると静かに時が止まった。飲み終えた後、茶碗の内側をそっと覗く。そこには誰にも見せない景色が広がっていた。器の中に私だけの時間が宿ったようだ。
大樋美術館は、器を「見る」だけでなく、「聴く」場所だった。器の声に耳を澄ませることで、自分の中の静けさと向き合う。それは現代の喧騒の中で忘れかけていた、心の余白を取り戻す時間。器は思想であり、関係性であり、時間の記憶である、そんな気がした。
欠けをつなぐ黄金の修復――界 加賀での金継ぎ体験
温泉旅館で初めて設けられた、小さな金継ぎ工房。スタッフが自らの手で器の修復を行い、宿泊者がその一部を体験できる。時間を経て、ひびや欠け、割れてしまった器を伝統技法でなおし、再び食事の場で提供する。界 加賀の「器は宝物」という精神が美しく結実する循環の仕組みがここにある。
九谷焼の金継ぎ体験は、この旅で最も印象深いものとなった。それは「侘び寂びの精神」が腹落ちした時間だったのだと思う。「侘び」という簡素で静かな美、汚れや変化を受け入れて楽しむ心。「寂び」という経年変化や劣化ともみなされる、時の流れが生み出す風格や深みといった美。頭でわかっていたことが、手を動かすことで心でも感じられるようになる。
体験したのは「粉まき」という、漆を塗り重ねた割れ目に金粉をまく工程。欠けた器は単なる修復を超えて、新たな美を纏う。壊れたものに新たな価値を与える視点に日本らしい美意識を感じた。かつての姿より味わい深く、唯一無二の存在になる。傷を隠すのではなく、際立たせる。完璧ではないからこそ宿る味わい、時の経過が生み出す風情、永遠でないことの尊さ――金継ぎは、不完全性を美として愛でる日本人の心を体現した技法だった。
金の糸でつながる美、不完全の美に生きる
私たちの人生も、きっと金継ぎのようなものなのだろう。傷ついたり、失敗したり、完璧ではない部分がある。でもそれを隠すのではなく、美しく修復しながら歩んでいく。そうして一本一本紡がれた人生の糸が、やがて美しい織物になっていく。
金沢・加賀を後にするとき、私の心には確かな充足感があった。この旅で学んだのは、「つながり」の美しさと、「不完全さ」を受け入れる強さだった。そして何より、一瞬一瞬を大切に味わうことの豊かさを知った。3万本の黄金の糸のように、私たちの人生にも無数のつながりがある。旅を振り返ったとき、この糸が単なる装飾ではなく、人と人、過去と現在、伝統と革新、完璧と不完全―すべてを結ぶ象徴のようにみえた。それらを大切に紡ぎながら、完璧でない今日という日を、かけがえのないものとして生きていこうと思う。
時を重ねた朱色の柱が、静かに過去と現在をつないでいる(山代温泉・温泉寺にて)












