【福岡県・柳川】約400年守られ続けた文化財で泊まる体験。「柳川藩主立花邸 御花」宿泊レポ

水郷が美しい福岡県柳川市で、400年あまりの歴史や文化を繋ぎ続けている立花家。その末裔が営む料亭旅館「柳川藩主立花亭 御花(以下、御花)」に「ゆるり文化旅」を連載する旅色LIKESライター・じゅんが宿泊しました。立花家のストーリーを紐解きながら、ほかにはない文化財の魅力を紹介します。
目次
柳川の景観をも作りだした立花家の歴史と御花のはじまり
大名から伯爵へと時代の流れとともに柳川で歴史を重ねてきた立花家。歴史とともに培ってきたものは地域の魅力・財産となり柳川を語る上では欠かせない存在となりました。そもそもなぜ伯爵家が現在の料亭旅館を営む事になったのでしょうか。
初代藩主の立花宗茂(たちばなむねしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将です。いくら掘っても海水しか出ない柳川の地に農業水を確保するため水路を整備したことで有名です。この水路は農業には不向きだった柳川を農業が盛んな土地にしただけでなく、生活用水にも使用され、現在も変わらず残っています。
宗茂の子孫である第五代藩主・貞俶(さだよし)は、1738(元文3)年に住まいを柳川城の裏鬼門にあたる場所に移します。その場所が現在の御花がある場所です。この名前の由来は、薬草や美しい花々が植えられた花畠(はなばたけ)があったことから敬称をつけて「御花さん」と親しまれたことからだそう。
時代は明治になり、第十四代藩主の寛治(ともはる)は大名家から伯爵家となり、現在は国の名勝に指定されている松濤園(しょうとうえん)や、西洋館や大広間、家政局(お役間)を有する伯爵邸をつくった人物です。また、農作物、特にみかんの栽培に力を入れ、日本初となる温州みかん「宮川早生(みやがわわせ)」を生み出しました。
当時の柳川警察署からの「風俗営業許可書」。ロビーで見ることができる。
こうしてさまざまな功績を残していく立花家ですが、御花誕生のきっかけになるのが第十六代藩主の和雄(かずお)と妻の文子(あやこ)です。和雄は華族となった立花家の一人娘・文子の入婿として迎えられます。しかし、1947(昭和22)年の華族制度の廃止により重い税負担を強いられ、所有していた東京の土地や広大な農地などを売却。多くの財産を失いましたが「郷土である柳川は守りたい」という強い想いを抱いていました。そんななか、殿様屋敷だった御花は、華族制度が廃止された頃は特別な日だけ地元の人たちが松濤園の見物ができるよう許可をしました。そしていつの日か、松濤園を眺めながら食事がしたいと医師会や消防団など地元の人たちから依頼があり、夫妻はそれに応えるようになります。しかし、この振る舞いが法律違反だと警察から指摘され、多額の税金を徴収されることに。抵抗も虚しく税金を支払うことになりましたが、これをきっかけに財務事務所から料亭への転身をすすめられます。これが「料亭旅館御花」の始まりです。
随所に散りばめられた立花家の歩みと地元とのつながり
敷地全体の7,000坪が文化財に指定されている御花。貴重な文化財に囲まれた施設ですが、年齢制限が一切なく小さなお子さんでも宿泊が可能です。これは幼い頃の楽しい思い出を次の世代に繋げてもらいたいという想いからだそう。そんな温かい想いの中にも守りながら次世代へと繋げていくという強い信念を感じます。
到着時のおもてなしは、ウェルカムドリンクには宮川早生のジュース。砂糖は一切使われておらず皮ごと絞ったジュースで、すっきりした甘さの中に濃厚なみかんの風味を感じられるのが印象的。実はこの宮川早生は赤字続きだった初期の料亭御花を支えた高級フルーツ。この売り上げがなければ、現在の御花はなかったかもと言われています。
ロビーのインテリアは創業200年以上の老舗ちょうちん屋・伊藤権次郎商店の提灯や、地場産業である佐賀県のレグナック株式会社の家具を使用。シンプルながら歴史と文化が溶け込む空間に居心地の良さを感じます。
和館の家政局には柳川に江戸時代から伝わる雛飾りの「さげもん」が。縁起物の人形51個を組み合わせ、天井から吊るして雛飾りと一緒に飾ります。子どもへの願いが込められた色とりどりのさげもんは作り手の優しさが部屋全体を温かく包みこんでいるかのよう。
客室名には立花家と繋がりの深い花や鳥の名前がつけられています。
今回宿泊したのは「菖蒲(しょうぶ)」の部屋。「尚武」「勝負」とも読めるこの花は、武士の立花家にとって縁深く大切にされてきた花です。敷地内にある東庭園では菖蒲のほかに黒椿、藤など部屋の客室名になっている植物が植えられ今でも大事に育てられています。
宿泊者だけが堪能できる「文化財ツアー」と「夜の庭園鑑賞」
チェックイン後には、宿泊者限定で文化財ツアーが行われます。スタッフの方が館内を一緒に歩き、柳川の歴史や立花家のエピソードと共に文化財の魅力を案内してくれます。立花家の屋敷から出てきた貴重な資料や、西洋館の天井にある美しい装飾のこと、客室に用意されている浴衣の文字のことなど興味深い話ばかり。まるでレトロ建築巡りをしているような気分にもなります。建物の中は形にとらわれない立花家の発想がちりばめられていて、随所に光るセンスにワクワクしっぱなしで、ツアーのあともカメラ片手に夕食時間ギリギリまで館内を歩き回ってしまいました(笑)。
夜はライトアップされた松濤園を一望できる大広間で地酒などのドリンクを片手に鑑賞します。大広間から松濤園を眺めていると立花家の人たちが身近に感じ、タイムスリップしたような時間が流れます。非日常的な穏やかな空間に宿泊する価値をしみじみ実感。歴史と文化に浸る夜の松濤園は、今も昔も変わらない癒しの場所なのかも……。
御花の歴史を「食で感じる」こだわりメニュー
建物や装飾だけでなく、食事も立花家や地元への思いが詰まっています。夕食では立花家が所有する農園で採れた果物や地元有明海の海産物や、立花家と繋がりが深い食材など、柳川の食文化が凝縮されたメニューが提供されます。ドリンクも地酒や地元のクラフトビールに蜜柑絞りなどこだわりのラインナップ。
朝食はレストラン対月館で松濤園を眺めながらいただきます。九州の食材がのった小皿が並び、第五代藩主・貞俶の大好物だった鮭イクラや、御花の農場で誕生した「三池高菜」の漬物など、一品ずつこだわりが詰まっています。また、土鍋で炊かれた長崎県島原の湧き水で育ったお米「ひのひかり」はツヤツヤしていて、おかずとも相性がぴったり。時間帯によってはお堀巡りをしている船頭さんの歌声も聞こえます。
さらに、ルームサービスには柳川で育ったA5ランクのブランド牛「豊作和牛」のローストビーフをはさんだクラブハウスサンドも。西洋文化にもいち早く触れていた立花家では、洋食メニューを提供していた歴史もあります。このクラブハウスサンドはその復刻メニュー。今回はどうしても食べたくて、チェックアウトの日の昼食に頂きました。ボリューム満点ですが、柔らかいお肉に酸味のあるソースがさっぱりとしていてペロリと完食。知る人ぞ知る隠れた絶品メニューです。
さいごに
敷地内には歴史・文化・建築と立花家の魅力が至るところに溶け込んでいて、知れば知るほど探求心を掻き立てられ、1泊では足りないほどでした。宿泊者には立花家資料館の入館チケットも付いてくるので、こちらも是非立ち寄って見て下さい。数多くの展示品にはきっと更なる立花家の発見と魅力に出会えるはず。ただ泊まるだけではない、柳川の歴史と文化にゆっくりじっくり浸る「文化財にふれる宿泊」してみませんか?
◆柳川藩主立花邸 御花
住所:柳川市新外町1
電話:0120-336-092
時間:チェックイン15:00~19:00、チェックアウト~10:00
