【奈良】乙巳の年に、古代最大のクーデター「大化の改新(乙巳の変)」ゆかりの地を巡る

今年は乙巳(きのとね)の年。「いっし」とも読みます。皆さんは、今年と同じ乙巳の年だった645(大化元)年に起きた古代最大のクーデター「乙巳の変(いっしのへん)」を知っていますか。「大化の改新」と聞けば、歴史の教科書で知っている人も多いのでは。23回(1380年)目となる乙巳の年に、「大化の改新」にかかわった人物たちゆかりのスポットを紹介します。
目次
乙巳の変とは
飛鳥時代に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が隋からの使者を迎える儀式の最中に、当時の権力者である蘇我入鹿(そがのいるか)を天皇の前で殺害した古代最大のクーデターです。当時の天皇は中大兄皇子の母・皇極(こうぎょく)天皇。この事件の衝撃で位を降り、弟の孝徳(こうとく)天皇に譲位します。そして孝徳天皇を担ぎ上げたのち、中大兄皇子と中臣鎌足が行った政治改革が「大化の改新」です。以前は「大化の改新」=「乙巳の変」と学校で教えられていましたが、現在の教科書には「大化の改新」のきっかけとなったのが「乙巳の変」と記載されています。
始まりは蹴鞠から。謀議の舞台「談山(たんざん)」
「乙巳の変」から遡ること数年。皇太子であった中大兄皇子と生涯にわたって腹心の部下となる中臣鎌足が出会ったのは、蹴鞠の会だったといわれています。鞠を蹴った皇子の靴が脱げた際、転がったのを素早く拾い上げ、恭しく差し出したのが若き日の鎌足。当時、政治の実権は蘇我氏に握られており、次の天皇を決めるのにも発言力がありました。そんな蘇我氏の専横を快く思わない二人は謀議を重ねます。その舞台となったのが、現在の桜井市、多武峰(とおのみね)の地でした。多武峰は、談峯、談い山、談所が森などと呼ばれ、乙巳の変から始まった「大化の改新」の語らいをした地として、現在の「談山神社」の名の由来となりました。中大兄皇子は後に天智(てんじ)天皇となり、大津宮(現在の滋賀県大津市)へと遷都します。そして、彼の政治を支え続けた鎌足が病に倒れたときに、臣下としての最高位である大織冠内(たいしょっかんない)大臣の位と「藤原」の姓を与えました。藤原氏はここから始まり、後々まで栄華を極めます。
談山神社は、そんな藤原氏の祖である鎌足を祭神として祀る神社。社殿には座像も祀られています。山の中にあり、特に桜と紅葉の名所として知られています。見頃時期にはライトアップも行われるほか、鎌足ゆかり地として、鞠装束に身を包んだ蹴鞠の会の人たちにより蹴鞠が奉納されています。
◆談山神社
住所:桜井市多武峰319
電話:0744-49-0001
拝観時間:8:30~17:00 ※最終受付16:30
夜桜ライトアップ:3月22日〜4月13日
拝観料:大人600円、小人(小学生)300円、未就学児無料
古代最大のクーデターの現場「飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)」の今の姿は……?
「飛鳥宮跡」はもともと「飛鳥板葺宮跡(あすかいたぶきのみやあと)」と呼ばれ、乙巳の変が起きた皇極天皇の宮殿だったとされていました。しかし、発掘調査により舒明天皇(※1)の岡本宮、天武天皇(※2)・持統天皇(※3)の飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)など、この地に多くの宮が何度も置かれていたことがわかり、これらを総称し「飛鳥宮跡」と名称変更されました。今年3月には天武・持統朝(※4)のものと思われる大型建造物の跡が見つかり話題に。とはいえ、建物は復元されておらず、井戸の跡などがあるだけ。のどかな田んぼの真ん中で当時のことを想像するしかないのですが。
※1舒明(じょめい)天皇:第34代天皇。皇極天皇は舒明天皇の皇后だった。
※2天武(てんむ)天皇:日本古代最大の戦乱「壬申の乱」で勝利し、即位。八色の姓の制定や国史の編纂などにより律令制を整備した。
※3持統(じとう)天皇:天武天皇の皇后で、天皇の死後は政務を執った。
※4天武・持統朝:天武天皇と持統天皇の時代で、律令体制の確立や国家の建設が進められた。
◆飛鳥宮跡
住所:高市郡明日香村岡
電話:0744-54-3240(一般社団法人 飛鳥観光協会)
飛鳥最強の豪族・蘇我家にゆかりある「飛鳥寺」
日本最古の仏教寺院「飛鳥寺(正式名称:安居院)」は蘇我入鹿の祖父・蘇我馬子(そがのうまこ)が仏教を広めるために建立した寺院です。創建当時は現在の20倍の規模があったとされており、名前も「法興寺」「元興寺」などと呼ばれました。平城京遷都の際に、「元興寺」として奈良に遷座しますが、遷座前の寺も「本(もと)元興寺」として塔やご本尊である「銅造釈迦如来坐像」もそのまま残されました。その後、ご本尊が野ざらしになったり、火災や落雷にあったりしましたが、なんとか現在の形に復旧されました。ご本尊は「飛鳥大仏」とも呼ばれ、飛鳥時代の代表的仏師・鞍作鳥(くらつくりのとり)作といわれる日本最古の仏像です。後に補修されていますが、お顔はほとんど創建時のまま。渡来人(※5)を祖先に持つとされる蘇我氏の影響か、面長でどことなく異国風の顔立ちをしています。1400年前もから同じ場所で私たちを見守ってくださっていると思うと感慨深いです。
寺の西側には、蘇我入鹿の首塚とされる五輪塔が建っています。刎ねられた入鹿の首は「高く飛んだ」と日本書紀にあるように約600メートルも飛んだとか。この首塚のほか、首が飛んできたとの伝承は明日香村や橿原市の入鹿神社、三重県松阪市にまで。どう考えてもそんなに遠くまで飛ぶことは考えられないのですが、入鹿への恨みが深かったのか、江戸時代に描かれた絵巻にも切り落とされた首が目をかっと見開いて飛んでいく様子が描かれています。これだけでも、この事件が民衆に衝撃を与えたことが感じられます。
※5渡来人:古代に中国や朝鮮半島から日本に渡来した人々、およびその子孫。特に4~7世紀ごろに日本に移住してきた人々を指すことが多い。
◆安居院(飛鳥寺)
住所:高市郡明日香村飛鳥682
電話:0744-54-2126
拝観時間:9:00~17:30 ※10月~3月は17:00まで、受付は各15分前まで
拝観料:大人(大学生以上)500円、高校生・中学生300円、小学生250円

蘇我家のパワーがわかる「石舞台古墳」と「甘樫丘(あまかしのおか)」

巨石30個を積み上げて造られた石室古墳
蘇我家の権勢は、飛鳥に残るほかの遺跡からもわかります。たとえば、蘇我馬子の墓だとされる「石舞台古墳」。飛鳥時代は石材が多く使用されたことから石造文化が発展したともいわれ、たくさんの謎の石の建造物があります。なかでもこの石舞台はひときわスケールが大きく、飛鳥のランドマークとなっています。また、この時代の陵墓は生前の地位を表しており「大王を超える」とされた蘇我家の勢いを示しています。
◆石舞台古墳
住所:高市郡明日香村島庄254番地
電話:0744-54-3240(一般財団法人飛鳥観光協会)
営業時間:9:00~17:00 ※最終受付16:45まで
定休日:無休
料金:一般300円、高校生以下100円

そして、蘇我蝦夷(えみし)・入鹿親子が邸宅を構えたのが「甘樫丘」。今では邸宅跡はなく、ただの小高い丘だけですが、飛鳥の全土を見下ろせる立地で、蘇我氏が民を見下ろしていたのだろうという想像が湧いてきます。ところで、この甘樫丘でもつい最近、発掘が始まり、蘇我の広大な屋敷跡が見つかったとのニュースが話題になっています。まだまだ、未知の歴史が紐解かれていくことでしょう。
◆甘樫丘
住所:高市郡明日香村大字豊浦
電話番号:0744-54-2441(飛鳥管理センター)
おわりに
「乙巳の変」から始まった、天皇を中心とする古代中央集権国家「日本国始まりの地」はここ飛鳥です。「飛鳥・藤原の宮都」は世界遺産への登録も目指しているところ。乙巳の年に、まずは、始まりの地を訪れてみてくださいね。