いくつになっても、学びたくなる。『古事記』『源氏物語』を愛した本居宣長ゆかりの地・松阪の旅
日本の歴史や伝統に触れる旅が好きな旅色LIKESライター・長月あきです。今年も残すところあと2ヶ月。紫式部の生涯を描いたNHK大河ドラマ『光る君へ』もいよいよ終盤ですね。紫式部の『源氏物語』を「あはれ」の文学、清少納言の『枕草子』を「をかし」の文学と呼ぶ(それぞれでその言葉が作中で多用されたため)ことはよく知られていますが、『源氏物語』の本質を「もののあはれ」と表現した人をご存じでしょうか。『古事記伝』で知られる江戸時代の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)です。今回は、『源氏物語』を愛して止まなかった宣長ゆかりの地・三重県松阪市に行ってきました。
目次
本居宣長とは
三重県松阪市出身で、江戸時代を代表する国学者です。木綿商の家に生まれたものの、商売には関心がなく医師となり、その傍らで古典の研究に取り組みました。宣長といえば、当時は解読することが難しかった『古事記』の解説書『古事記伝』を約35年の歳月をかけ完成させたことで知られていますが、彼のもう一つのライフワークが『源氏物語』の研究です。地元・松阪で29歳から40年に渡り『源氏物語』の講義を行い、注釈本も執筆しています。
「本居宣長記念館」と旧宅「鈴屋(すずのや)」で宣長を知る
松坂城跡内にある「本居宣長記念館」では、映像やクイズのほか、直筆の原稿や自画像、遺品などの展示から、10代の頃から生涯衰えることのなかった、彼の知的好奇心の強さ、勤勉さを感じました。本業の医者の仕事をしながら、自分の純粋な探究心で古典研究を、長年続けていたというのがすごいところ。それまでは儒教・仏教の教訓本として読まれていた『源氏物語』について、宣長は「『もののあはれ』(しみじみとした情趣、または哀愁を表すもの)こそがこの物語の本質だ」という説を唱えています。12月8日(日)まで、秋の企画展「もののあはれを知る~宣長とひもとく『源氏物語』~」が開催されています。宣長の『源氏物語』の捉え方・関わり方がよくわかる展示になっていました。
記念館に併設された本居宣長旧宅「鈴屋」は、宣長が12歳から72歳で亡くなるまで住んでいた家を移築したものです。書斎に鈴を下げていたことから「鈴屋」と呼ばれるようになりました。夜な夜な、薄暗い部屋の中で古典研究をし、奥の間で歌会や講義を行っていたようです。
◆本居宣長記念館
住所:松阪市殿町1536-7
電話番号:0598-21-0312
営業時間:9:00~17:00 ※最終16:30
休館日:月曜日(祝日のときは翌日)、年末年始
料金:大人 400円、大学生等 300円、小人(小学校4年生〜高校生)200円
※本居宣長記念館・本居宣長旧宅「鈴屋」共通
宣長の和歌が記された御朱印がいただける「本居宣長ノ宮」
本居宣長記念館から歩いてすぐの場所に、宣長を祀る神社「本居宣長ノ宮」があります。学業成就・合格祈願のご利益があるそう。境内には宣長の歌碑がありました。
宣⾧が愛した桜や鈴の印、そして宣長の歌「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」の歌が記された御朱印が素敵なので記念に。「大和心(日本人の心)とは何かと人が尋ねたなら、朝日に照り輝く山桜の花の美しさに感動する心だと答える」という意味だそう。
◆本居宣長ノ宮
住所:松阪市殿町1533-2
電話番号:0598-21-6566
自然生(じねんじょう)料理の「本居庵」で昼食
本居宣長ノ宮のすぐ隣にある、自然生料理の専門店「本居庵」で昼食をいただきました。お店の名物である自然生を使ったとろろ汁や自然生のかば焼きなどがついたセットを注文。かば焼きは自然生を海苔で巻き、甘辛く焼き上げたものです。店内には、『七つの子』『十五夜お月さん』『赤い靴』などで知られる、作曲家・本居長世(ながよ)にちなんで、童謡のBGMが流れています。本居長世は宣長の子孫なのです。
◆本居庵
住所:松阪市殿町1533-2
電話番号: 0598-22-1283
営業時間:11:00~15:00、16:30~20:00(LO)
定休日:月曜日 ※祭日の場合営業
宣長が暮らした場所「本居宣⾧宅跡」と「御厨(みくりや)神社」へ
本居宣長記念館で見学した「鈴屋」が建っていた場所は、「本居宣長宅跡」として保存され、移築された「鈴屋」とセットで、三重県唯一の国の特別史跡に指定されています。魚町の「本居宣長宅跡」には、宣長が暮らしていた頃の庭の松の木が残っています。
本居宣長宅跡から歩いて5、6分のところにある「御厨(みくりや)神社」は、宣長が『古事記伝』全44巻を奉納した神社です。宣長が御厨神社を詠んだ歌が3首残っているそうで、宣長にとって身近な神社だったことがわかります。
◆本居宣⾧宅跡
住所:松阪市魚町
電話番号:0598-53-4397(松阪市文化課)
◆御厨神社
住所:松阪市本町2304
電話番号:0598-21-4483
宣長の墓がある本居家の菩提寺「樹敬寺(じゅきょうじ)」
宣長の墓は市内に2カ所あり、共に国の指定史跡になっています。一つは、市街地にある「樹敬寺」に、もう一つは市街地から少し離れた山室山にあります。樹敬寺は本居家の菩提寺(ぼだいじ)であり、宣長夫婦と長男・春庭(はるにわ)夫婦の墓が背中合わせに立っています。ここには宣長の遺髪が葬られているそう。
なお、山室山の墓は、奥墓(おくつき)とよばれます。樹敬寺の墓は「本居家の家長としての墓」、奥墓は宣長の「個人の墓」とされます。
◆樹敬寺
住所:松阪市新町874番地
電話番号:0598-23-9680
桜を愛した宣長が眠る「本居宣長奥墓」
市街地から車で20分ほど走った山室山の森林公園「松阪ちとせの森」の中に、宣長が埋葬された奥墓があります。宣長は遺言書に命日(※)の定め方、供養、墓の設計まで詳細に書いていたそうで、山室山は宣長本人が生前に墓所として選んだ地です。遺言で描いた設計図に近い形の墓で、後ろには遺言通りに山桜が一本植えられています。墓石に刻まれた「本居宣長之奥墓」の文字は自筆だそう。他のゆかりの地とは違い市街地から離れているためか、静寂な空気に包まれる奥墓。しみじみとした情趣、まさに「もののあはれ」を思わせる場所です。
周辺はハイキングコースになっており、奥墓までは駐車場から山道に設けられた石段をひたすら15~20分ほど登っていきます。遊歩道が整備されてはいますが、歩きやすい靴がおすすめ。ハチの注意喚起の看板を見かけたので、ハチの出る季節には白っぽい帽子と服が良いかも。
※命日:宣長の命日は11月5日(旧暦の9月29日)
◆本居宣長奥墓
住所:松阪市山室町1374番地
電話番号:0598-29-1210 (妙楽寺)
「学びたい」欲が刺激された旅でした
宣長は鈴の音を愛し、いろいろな鈴を所有していたそう。そのためか、松阪のまち歩きをしていると、鈴モチーフのものをよく目にします。また宣長関連の史跡やスポットも多く、宣長と鈴は松阪市のシンボルになっているようです。
今回の旅では、記念館の展示などを通して宣長の若い頃からの才能に圧倒されました。しかし宣長は、才能がないとか、学び始めるのが遅いとか、時間がないとかといった理由で留まっていてはならない、学問において最も重要なことは「継続」だと書いています。そして「継続」するためには、本業を怠って疎かにしてはならないとも。現代の私たちにも響く言葉ですね。松阪の旅で、眠っていた「学びたい」欲を刺激されました!