真のユニバーサルデザインについて考えはじめた、高齢になった親との旅【山形】
障がいを持つ者の旅について触れられる機会はあまり多くない。人生100年時代、誰もが行きたい場所に行き、旅を楽しめることを願って、高齢者となった両親との山形・庄内地方での旅について綴りたい。ユニバーサルデザインとは文化、言語、性別や能力、障がいの有無に関係なく、すべての人が使いやすいように製品・建物・環境などをデザインすることで「すべての人のためのデザイン」を意味する。旅色LIKESライターのリリは、この旅をきっかけに本当のユニバーサルデザインとはどんなものか考えはじめた。
目次
久しぶりに行く、旅慣れない両親との旅
両親と3人で旅行するのは何年ぶりだろうか。親孝行をしたい気持ちはあるが、旅慣れない両親との旅はただ楽しいだけでは済まない。正直なところ、それなりに心身が疲弊するのだ。コロナ感染症が5類相当に移行されたころ、両親との旅先に選んだのは山形県庄内地方。山形県には3人とも行ったことがなかったので、以前から気になっていた「SUIDEN TERRASSE(スイデンテラス)」 に宿泊することにした。ユニバーサルルームやバリアフリールームといった客室があるほか、多言語化表記などバリアフリーに力を入れているホテルだ。
田んぼに浮かぶホテル「SUIDEN TERRASSE」 で晴耕雨読のひと時を
世界的建築家・坂 茂(ばん しげる)氏が設計を手掛けたホテルで、どこに身を置いても田んぼの気配を感じられるようデザインされているのが特徴。坂氏は1980年代から木や紙などの自然素材を使う、環境にやさしい家づくりを実践している。家具からドアの取手の細部にわたり、自らデザインするそうだ。
坂氏の代名詞とも言える紙管(トイレットペーパーの芯など)を使った建築は、被災者の仮設住宅や、難民用のシェルター建設などで知られている。有名建築家が設計した宿としてはリーズナブル。紙管ゆえ高級感はやや欠けるものの、木の温もりを生かした万人受けしそうな、シンプルで清潔感のある宿だ。2,000冊もの本が並ぶライブラリーコーナーも充実している。
緑内障を患う父との旅
私の父は、緑内障という目の病気を患っている。緑内障は目と脳をつなぐ視神経が障害され、徐々に視野が欠けていく病気。進行すると失明に至る。現在は40歳以上の約20人に1人は緑内障と言われているので珍しくはないが、進行を遅らせることはできても治ることはない(注:手術が有効な場合もある)。父の目は元々の強度近視に加え、既に大きく視野が欠けており、健常な人のおそらく半分以下の視界しかない。そのため、暗いところや知らない場所では足元がおぼつかなく、視覚からの情報による反応を咄嗟にとることができない。
ところが、誰もが視覚障がい者だと認識できる白杖は持っていないし、障がい者手帳も持っていない。近視は眼鏡で矯正できても、欠けた視野はどうにもできない。せめてヘルプマークくらいはつけてほしいとお願いしているのだが、それすらも持っていない。一見すると健康には何も問題はなさそうに見えるが、限りなく視覚障がい者に近い。かと言って、音など視覚以外の情報を頼りに、五感を研ぎ澄ませて暮らしているわけではないというのが難しいところ。もちろん点字も読めない。よく見えていないけれど、私たち晴眼者と同じように、視覚から得る情報が中心の生活である。
そんな父との旅行で最も注意すべきことは、ホテルの明るさだ。デザイン性を重視したおしゃれなホテルやレストランは、内装や照明が暗めなことが多い。古い旅館や古民家は暗さや段差が気になる。その点、SUIDEN TERRASSEは内装も明るくシンプル、ユニバーサルデザインについても考えられていそうな点が良かった。
だが、いざ滞在してみると緑内障患者目線での小言が多い。「廊下のかどにあるスタンドライトの高さが目線で危ない」から始まり、階段の手すりや段鼻、サインの目立ちやすさなど、次から次へと出てくる。「ミニマルなデザインとの兼ね合いで、落としどころとしてはこの辺なんじゃないの? 」と私。「もっと考えられるはずだ。坂茂に言っておいてくれよ」と冗談を交えながらも譲らない父。父も私も建築士の有資格者ではあるが、世界的建築家である坂氏とはもちろん知り合いでもなく、ましてや雲の上の存在である。残念ながら、この会話が彼に届くことはないだろう。
そのうち母もこんなことを言いはじめた。バックヤードから近いところにあるトイレを指して「あのトイレのドアが重すぎて開けづらい。あれじゃ高齢者や子どもは使えないわ」と。「あのトイレはメイン動線のトイレじゃないし、たぶん防火戸(※)を兼ねてるから、重くても仕方ないんだよ」と、つい設計者目線で反論をしてしまう私。この時は設計者が一個人の事情にそこまで寄り添えないよと思っていたけど、公共建築物においてのユニバーサルデザインとしては、発展につながる生の意見が満載だった。若く健康であれば気にならないことも、衰えはじめた身体にはストレスになる。一見すると十分に配慮されていそうに見えるホテルでも、地域の魅力発信としてのデザイン、またミニマルなデザインとのバランスのとり方は未知数のようだ。
(※)防火戸:火災の拡大防止と延焼防止のために建築物内外の開口部に設置されるもの
母や私が一緒にいる時はサポートできるが、男湯には入れないので大浴場に行く時だけは困ってしまう。たまたまこの時は大浴場の入口にいた若いご夫婦に声をかけて事情を話し、段差の位置など教えてやってほしいとお願いした。とてもよくしてくれたそうで、父は不自由なくお風呂に入れてご満悦だった。その方には感謝しかない。しかし、浴室はリラックスできるように照度を落とした計画になっていることが多い。やはり暗さや部分的に狭くなった洗い場には問題があるようで、大浴場は明るさが確保できる朝しか入らないという結論に至った。
芽生えはじめた問題意識
レストランでは、山形・庄内の食材やお酒が用意されている。テーマは"Farm to Table"。新鮮な具材を使用してできたお料理はどれもおいしく、両親も満足そうだった。
障がいにはさまざまな種類、程度があるから万人に対応することは難しい。街を見渡した時、今までは気に留めていなかった場所にも問題があることに気がついた。道路や施設の床と同系色の点字ブロックを時々見かける。点字ブロックは本来、黄色もしくは明暗のコントラストを示す必要がある。視覚に不自由のない人からすれば、同系色の方が見た目がスッキリして調和がとれた空間と評価されるだろう。だが、色を頼りに歩く人がいることを忘れてはならない。弱視の人、見えなくなりつつある人、視野が欠けている人のことなど、健康な人は考えが及ばないのは当然だろう。むしろ全盲の人を前提に考えておけば、多少視力がある人のことは賄えると考えがちなのではないだろうか? だが現実は全く違う。彼らは視覚からの情報も頼りに生活している。
加齢に伴う目の病気は、緑内障のほかにも白内障や加齢性黄斑などがあり、高齢になると「見えづらさ」を感じる人は増えるもの。高齢化社会の日本では、見えていない人が多数派になる可能性すらあるのだ。誰もがバリアを感じることなく過ごせる施設づくりを目指したい。そうは言っても、無料で不特定多数が利用する公共施設と違い、お金を払って利用するホテルのような施設において、どこまで対応するか悩ましいということも理解できる。だが、「すべての人がストレスを感じないためにはどう改善したらいいのか」を突き詰めていくことが本当のデザインなのだと、両親との旅を通して感じた。
◆SUIDEN TERRASSE
住所:山形県鶴岡市北京田字下鳥ノ巣23-1
電話:0235-25-7424(受付時間:9:00〜18:00)
出羽三山(でわさんざん)に息づく「生まれかわりの旅」とは
翌日は宿から車で30分ほどの「出羽三山神社」へ。山形県の中央にそびえる羽黒山、月山、湯殿山の総称を出羽三山という。それぞれ現在、過去、未来を表すとされ、江戸時代に庶民の間で三山を巡ることが死と再生を辿る「生まれかわりの旅」として広まったと言われている。各山の山頂に神社があるが、その三社を合祭しているのが羽黒山山頂の「出羽三山神社」なのだそう。
目が不自由だと、足腰が健康でも足元がおぼつかない。階段、山道、雨で滑りやすくなった道……危険がいっぱいで、どこでも気軽に楽しめるわけではない。行きたかった五重塔では翌日から改修工事があるため、悪天候でもこの日しか見ることができなかった。杖と長靴はレンタルしたものの、傘をさして長い石段を降りるのはなかなか大変で、案の定、父は途中で引き返すことになった。
人はいつまで自分が思うままに、不自由なく旅ができるのだろう。できなくなってしまったことを受け入れるのはどんな気持ちなのだろう。父の姿を見て、そんなことを考えていた。できることが増えていく幼少期の成長と違い、老いはできないことを受け入れていく寂しさがあると、ミドル世代の私は想像する。少しずつ不自由になっていく身体を受け入れて、でもそんな葛藤や哀しさを微塵も感じさせない父は強い人だと思う。途中までしか行けないことは予想していたものの、五重塔まで辿り着けなかった父に見せるため、私はひたすら写真を撮っていた。
◆出羽三山神社
住所:山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7
電話:0235-62-2355
山形県の旅を終えて
久しぶりに会った両親はまた少しだけ老けていて、あとどのくらい一緒に出かけられるのかなと考えた。少しでも見えるうちにと、最近は2人でよく出かけているらしい。それでも、もう行くことは叶わないだろうと諦めている場所もあるようだ。旅から数ヶ月後、私も初期の緑内障の可能性ありと診断された。確定診断ではなかったが、遺伝性がある病気なのだから、私もきっと緑内障になるのだろうと思っている。父の視点、意見はいずれ我が身に降りかかる。あの時の話は一気に自分ごとになった。
いつまでも楽しく旅ができるように健康に留意しよう。私は目が見える健康なうちに、見たいものは全部見に行こう。そう決意するとともに、真のユニバーサルデザインがすべての場所で実現され、誰もが制限なく楽しめる世界になることを願った。見たいものが見えること、行きたいところに不自由なく行けること、当たり前だと思っていたことに感謝しなければならないと気がつく。そして、高齢になった両親を前に、心身が疲弊するから一緒の旅行はたまにでいい……なんてわがままも言っていられない。
不自由な身体で旅することを想像しよう
視覚を失った旅がどのようなものか、私には計り知れない。ましてや青年期をそう過ごしたわけではない高齢になってからの障がいに、どう対応したらいいのだろうか。緑内障に限ったことではない。いずれ誰もが身体は衰える。病気や事故で手足が不自由になることもあり得る。重いテーマのようだが、加齢とともに誰もが当事者になること。多くの人の考えるきっかけになればと思う。