岐阜県美濃路・墨俣であじさいを愛でる

三重県在住のLIKESメンバーのなおさん。今回は、旅色の旅行プランを見て岐阜県大垣市墨俣(すのまた)町へ行ってきたようです。7月上旬まで見頃のあじさいを写真と一緒にレポートしてくれました。
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墨俣(すのまた)町
大垣市墨俣(すのまた)町は自宅から車で1時間ほどでいけるお散歩範囲。旅色の旅行プランで紹介されているのを見て、墨俣にこんなところがあるのかと知り、行ってみることにしました。
墨俣地区は長良川(ながらがわ)と揖斐川(いびがわ)の間に挟まれた地域。江戸時代までこの地域は木曽川を含めて川が入り乱れ、多くの中洲が存在していました。墨俣もそのひとつ。かつては「州俣」の字が使われていて中洲にあったことを推察できます。
すのまたあじさい街道
16世紀に根尾川の洪水で流路が変わりできた犀川。そのほとりに平成18年から市民の手でつくられているのが「すのまたあじさい街道」です。

青、赤、紫、約3,800本のあじさいが、1.2kmにわたって見事に咲き誇り沿道を賑わせています。あじさいの色って、土が酸性かどうかで変わるんですよね。度合いにもよりますが、中性なら紫、アルカリ性なら赤、酸性なら青。もううろ覚えですが、小学生頃にリトマス試験紙で学んだことを思い出しながら花を眺めます。

これらのあじさいはアントシアニン系の色素を持っていますが、白いあじさいには含まれていません。そのため土壌の影響を受けず、何色にも染まらないのだそう。知ってました?

花(正確には花じゃないですけど)をかき分けてみたら、てんとう虫が隠れていました。ここなら敵に見つかりにくいので安心ですよね。思わず「あ!いたいた!」と声を出してしまいました。おっさんひとりなのに……。

あじさいロードは墨俣一夜城まで続いています。
あじさいを抜けた先には「墨俣一夜城」
あじさいの小径を抜け、木々の間から望むお城は絶景でした。

こちらの橋は太閤出世橋。「太閤」「千成瓢箪(せんなりびょうたん)」といえば豊臣秀吉です。木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)は、織田信長の稲葉山城(岐阜城)攻めの際に拠点とした「墨俣一夜城」を築城しました。この功績を評価され、藤吉郎は出世したそうです。ただ、良質な史料には記載が一切なく、この逸話が史実かどうかはわかりません。

お城の上から岐阜の街を望みます。信長や秀吉の時代には、この一帯はさながら海だったことでしょう。ここから金華山(きんかざん)を望み、稲葉城落城の戦略を練っていたのでしょうか。治水の進んだ今でも川に挟まれており、往時の水害の苦労を察します。

墨俣は、美濃路の宿場町でもありました。お城を離れ少し歩くと住宅地にひっそりと建つ「美濃路墨俣宿脇本陣跡」。治水のために多くは壊されてしまいましたが、寺社町も残されていて、宿場としても栄えた町の面影を少しだけ残しています。
犀川のほとりは、さくらの名所としても有名です。近場に住む私ですが、今回初めて墨俣のあじさいの名所を知りました。あじさいもお城も楽しめる静かな町です。ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。