高橋久美子の旅のメモ帳vol.6「長野県上田市のじまんやき」
作家・作詞家として活躍されている高橋久美子さんが、旅先でとったメモを起点に心にとまった風景を綴る連載エッセイ。第6回は、詩と絵の展覧会「ヒトノユメ2021」が開かれてた長野家上田市から。旅人の目で生活をして、見えてきたものとは。
文・写真/高橋久美子
この街に雨が降るのは珍しかった。私は海野町商店街のアーケードを歩いて夕飯を探したが、戻って宿の目の前にある中華料理屋「檸檬」に入った。壁には役者たちのサイン色紙が並ぶ。晴天率が高いので映画のロケ地に選ばれることも多いそうだ。他のお客さんのテーブルを見回し、やっぱり名物の五目あんかけ焼そばを食べ、幸せな気分で宿へ戻った。
昨年11月から開催していた詩と絵の展覧会もいよいよGWでフィナーレということで4月末から二週間ほど開催地の長野県上田市に滞在した。
上田に行くといつも家に泊めてもらっている共催者の画家、白井ゆみ枝さんが家族旅行で不在だったため、前半はゲストハウス「犀の角」を寝床にした。本、歯ブラシ、化粧水、コンタクトの液……忘れたらいけないものをメモし、久々のゲストハウス生活にわくわくしていた。
海外旅行でも私はゲストハウスのドミトリーを利用することが多い。長期滞在に欠かせないキッチンがあることやリーズナブルというだけでなく、宿泊者同士の情報交換をするのも楽しいからだ。部屋ではさすがに以前のように会話とはいかないが、談話室で宿泊者と交流ができるのはやっぱりゲストハウスの醍醐味だ。
リリックを書いてラップをしているという女子高校生が同室に宿泊していて、詩を見せてもらったりした。この言葉が素敵だね、こういうパターンもかっこいいかもね、なんて話し込んですっかり展示会場へ行くのが遅れたりもした。
「犀の角」はゲストハウス塔だけではなく、舞台が併設されていて小劇場としても有名だ。土日は演劇やダンスなどの表現の場として文化を発信している。犀の角の近くには「上田映劇」という大正時代に建てられた素敵な劇場がある。レトロで重厚感ある建物は今は映画館として市民に愛され、犀の角とならんで上田の新しい文化を担っている。
私たちも映劇でイベントをすることになっていた。友人でもある映画監督の杉田協士さんの作品「春原さんのうた」を鑑賞後、杉田さんと舞台挨拶を行い、お客さんを引き連れて上田の街を歩き、私達の展覧会場へ案内する企画だった。
夕方なので小腹も空くだろうと上田名物のじまんやき(大判焼き)をセットにすることに。メモに書かれた“じまん焼き予約”とはこのことだ。じまんやきの「富士アイス」の前には連日大行列ができている。マンションがいくつも建設中で様変わりしつつある海野町商店街でその光景だけはずっと変わらない。北海道産の小豆を砂糖控えめに煮て、たっぷりと詰めたじまんやきの美味しいこと。列に並んでも毎日食べたくなるの分かるなあ。路駐して並ぶ人も多いからか、連休中はパトカー二台が止まって交通整備されるほどだった。
作品の制作や白井さん家に遊びに行ったりと上田に通い始めてかれこれ十年、地元の人より上田に詳しいねと言われる。うん、自分の地元のことより知っていると思う。
四国出身の私にとって、長野の食文化や気候は全くの未知との遭遇だったのだ。でも、蕎麦ばかり食べていたのは最初のうちだけ。実は、駅前の「中村屋」の馬肉うどんが上田人のソウルフードで今じゃ私もこっちへ来てしまう。海野町商店街の「檸檬」の五目あんかけ焼きそばは絶品だが、ここまで混みだしたのは、映画『青天の霹靂』の撮影中、大泉洋さんが絶賛したからだ。お茶屋さんの「喜光堂」のソフトクリームは抹茶ソフトもさることながら、実はほうじ茶ソフトが奇跡の旨さである。北国街道の柳町商店街といえば創業350年以上の「岡崎酒造」やパンの「ルヴァン」であるが、パン屋の目の前にある小さな小さな和菓子屋「名取製餡」のくるみおはぎも絶品で私は一日置きにおやつにした。そして、私達の展示会場になっていたドライフルーツ屋さん「UNITY 0268 SHOP」は日本で初めてここまで様々な果物をドライにしたそう。ちなみに0268は上田の市外局番である。
住んでいたら気づかないこと、数日の旅でも気づかないこと。きっと旅人の目を持ちながら、しばらく生活をすることで見えることってある。ちなみに、海野町商店街には2013年にお店のショーウィンドウに私の詩を展示させてもらったのだけれど、まだ残っている店舗があるのでそれを見つけながら歩くのも楽しい。
今回は新たな開拓もできた。長野大学の学生が川沿いの古民家を改装して「Old Pub House CHILL」というバーをやっているというので、宿泊していたお客さんとスタッフさんを引き連れて行ってみた。バーというイメージとは対極の、初々しいマスターが作ってくれた山崎のハイボールを飲みながら若い方たちの話を聞く。下手すりゃ20歳近く年下の彼らの話。青くてくすぐったくて、突っ込みたい気持ちを抑えて母親のような気持ちで眺めていた。
展示最終日、リリックを見せてくれたラッパーの学生が来てくれて、熱心に詩や絵を見てくれた。犀の角のスタッフさんや、CHILLの店長も彼女といっしょに来て、それぞれに新しい世界との出会いを楽しんでくれたようだ。
久々に東京へ帰り、山がないのでしばらく落ち着かなかった。雪解け水をたたえた新緑の山々が、まだまぶたに焼きついている。