高橋久美子の旅のメモ帳vol.2「沖縄、美ら海水族館で魚と出会う」
作家・作詞家として活躍されている高橋久美子さんが、旅先でとったメモを起点に心にとまった風景を綴る連載エッセイ。今回のメモは、長い長い歳月を生きた魚との出会いから。
文・写真/高橋久美子
数年前、沖縄北部の本部村(モトブソン)を訪れていた。12月とは思えない温かさに開放的になっていく。本部というと美ら海水族館だ。十年前にも訪れたことがあるけれど、その時は車酔いをして殆ど覚えていない。
魚が生きていた。全く動かないものも、不機嫌そうなのもいるが、みんな生きていた。水族館なんだから当然だけど、普通に生活していて生きている魚を見ることって殆どないんだと思った。刺し身とか煮付けになってない魚。スーパーに並んでいるのと同じ種類の魚が、生きている。いつもなら、釣り上げられて活け締めにされるのに、ここでは鑑賞され丁寧に育てられる。
妖艶に光るクラゲや、チンアナゴにも夢中になったが、私は、マグロやカツオといった、食としておなじみの魚が全身の筋肉をうねらせて泳ぎ続ける姿に惹かれ、何十メートルもある大きな水槽の前でぼーっと見続けた。引き締まったボディー、スマートな横顔。いつまでも見てられると思った。
同じ水槽で、ジンベエザメの餌やりが始まるとアナウンスがあった。子どもたちの群れに混ざって私も前の方へ行く。ピンク色のプランクトンやオキアミの塊が水の中に入れられると、そこへジンベエザメがやってきて、大きな口で水ごと吸い込んでは、エラの部分から水を抜いている。小魚が群がってくる。一度に飲み込む水の量は100リットルだとか。一つの心臓で動いているとは信じがたいほど巨大な生物。こんなにでかいのに、一緒に泳ぐ魚は捕食せずプランクトンを食べるだなんて。そりゃモテるはずだ。口を開ける度に子どもも大人も感嘆の声をあげ、ひっきりなしに写真を撮るのだった。
餌やりが終わるとみんな去っていってしまった。私は依然、マグロやジンベエザメの水槽から離れず見ていた。すると、さかなクンみたいな飼育員の方がやってきてマグロとカツオの違いや、エイのお話などをしてくれた。私があんまり熱心に見ているもんだから、相当魚好きだと思ったのだろう。どの魚について聞いても聞いたことの3倍教えてくれた。魚を自分の子どものような目で見ている人がいることに私は感動してしまった。ここの魚が生き生きと見えるのは、きっとこういうことなんだろう。
お兄さんにお礼を言って、サメのコーナーへ進む。
美ら海水族館は温暖な沖縄ならではか、相当にサメの研究に力を入れているとみた。入場したときから、巨大なサメの標本や骨が展示され、サメ、サメ尽くしなのだった。
サメコーナーには、人喰鮫の鋭い歯が展示されていた。隣のジンベエザメはあんなに人気だというのに、子どもが誰もいない。ゆうゆうと泳ぐサメを誰も見てない。気の毒だ。人を襲うサメはごく稀で、ほとんどがおとなしいそうだけど、サメと聞くとジョーズを想像してしまうよねえ。
私の旅のメモ帳には「400年生きたサメ お腹の中から古い剣が出てきて生きた年月が分かった」とだけ書かれている。
錆びついた剣が確か展示されていたと思う。もしくはあのお兄さんの説明の中だったのかもしれない。なにせ、網にかかったサメのお腹を切り開いたときに錆びた古い剣が出てきたのだそうだ。その剣の年代を探っていくと、400年前のものだったというのだ。その剣によりサメが推定400歳であることが分かったという。
サメは生殖や産卵、それから寿命についても、近年までよく分かっていなかったそうで、こういう地道な分析で少しずつその生態が明らかになっているそうだ。
400年も生きたサメ。さぞ孤独ではなかっただろうか。いや、仲間たちもみんな400歳超えなのかな。人間とは全然違った時間軸で生きている生物と同じ地球に生きているということ。大きい魚や人にすぐ食べられてしまう魚もいれば、400年さまよっている魚もいるんだ。400年前って江戸時代の前期だよ。その時代から、暗い海底を泳ぎ続けていたのだ。もしかしたら、500年600年とさらに長く生きる予定だったのかもしれない。こういう、次元の違う生命のドラマに触れた時、自分も地球の営みの一粒でいいのだと感じる。ふっと、軽くなったりする。
ちなみにジンベエザメはクジラのように見えるが、サメだ。魚類最大の生き物なんだそう。クジラは哺乳類なのに対して、サメは卵をお腹の中で数百個産んで、そのままお腹の中で卵を育てて、そして子どもを生むから魚類なのだ。
水族館を出る頃には私も少しだけ魚に詳しくなっていた。