小林エリカの旅と創造

小林エリカの旅と創造

#41 琥珀
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海の底には人魚が住んでいる。
その人魚が地上の若者に恋をして、
悲恋で流した涙は琥珀になって、光り輝く。
古代ギリシア神話、
海の神ポセイドンの娘・人魚ユラテの話である。
言い伝えはやっぱり本当だったんだ、と私は思う。
バルト海沿岸の浜には、いまなお琥珀が打ち上げられるという。

国立科学博物館の特別展「宝石 地球からうみだすキセキ」へ行ったときに見た琥珀も、確かバルト海沿岸のリトアニアからやってきたものだったのではなかったか。
琥珀。
飴色に輝く宝石。
古代の樹木の樹脂が地底に埋もれ、そのまま化石化したものだという。なかには、虫や葉などが閉じ込められているものもある。それは電気(エレクトリシティー)の語源でもあるという。
古代ギリシア人は、猫の毛皮で琥珀(エレクトロン)を擦ると、まわりのものが引き寄せられるという不思議をすでに知っていた。

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もう十年ほど前になるのだが、ある旅雑誌で、バルト海をクルーズするという仕事をやらせてもらったことがある。
豪華客船リーガル・プリンセス号に乗ってデンマークのコペンハーゲンから出港し、ノルウェーのオスロ、スウェーデンのヨーテボリ、ドイツのヴァルネミュンデ、エストニアのタリン、ロシアのサンクトペテルブルク、フィンランドのヘルシンキ、スウェーデンのストックホルムをぐるりと周る、至極贅沢なツアーであった。
そもそも、クルーズ船などというものに乗ったことのなかった私は、まずその船の大きさに驚き(港ではじめて観たときは巨大マンションかと思った)、それから海の大きさに驚いた(寝て、覚めてもまだ海!)。

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海外旅行へ行くのもこの頃はもっぱら飛行機だから、国と国の距離をあまり意識することもない。だが、エストニアのタリンへ行った時「さくっとフェリーでフィンランドのヘルシンキまで出かけて買い物をする」と聞いて驚いた。
実際、タリンからヘルシンキまではフェリーで約2時間。

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船で旅をしてみると、かつては港から港へ、人も物も行き来していたのだと実感できる。ドイツ、ハンザ都市の中世みたいな木組みの町並みが、ふっとタリンの街にも広がっていたりするのだから。そう考えると、ロシアのサンクトペテルブルクもごくごく近い。
フランスのナポレオンがロシア帝国へ進軍していったとか、第二次世界大戦中にソ連軍がベルリンへやってきたとか、そんな話もようやく実感できるし、いま起きているロシアによるウクライナでの戦争も身に迫る。

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バルト海をクルーズしていたとき立ち寄る町々のいずれにも琥珀を売る土産物屋があった。
国は異なれど、海はひとつで、繋がっているのだ。
勿論、観光客向けのものだとはわかっていても、私はついつい店をのぞいてしまう。
琥珀はやっぱり飴色で、どこまでも美しい。
私は今でもついついそれを手に取る。
だってこれは、ひょっとしたら、この海の底で本当に人魚が流した涙かもしれないのだから。

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小林エリカ
Photo by Mie Morimoto
文・絵小林エリカ
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)で第8回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。そのほかシャーロキアンの父を書いた『最後の挨拶His Last Bow』(講談社)、自身初となる絵本作品『わたしは しなない おんなのこ』など。