小林エリカの旅と創造

小林エリカの旅と創造

#38 震災後の東京
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有楽町駅の改札を出るとすぐにマリオンがあり、
その向こうには数寄屋橋の交差点。
その交番の脇に、兜をかぶった男が松明を掲げ足元に獅子を侍らせている銅像がある。作者は彫刻家、北村西望氏。後に戦意高揚のために戦没者の銅像を、更に後には、長崎の平和祈念像を創る人物である。
震災から十年を記念して建てられたその台座には
「不意の地震に不断の用意」の文字。
震災とは1923年の関東大震災のことである。
東日本大震災から十一年目の春が過ぎ、関東大震災からは九十九年目の夏がもうすぐやってくる。

有楽町から日比谷へ向かって歩く。
左手にはTOHOシネマズ日比谷とゴジラの彫像。
右手には日比谷シャンテと東京ミッドタウン日比谷の広場。
その向こうに東京宝塚劇場があり、さらに奥には日比谷公園が広がっている。
私はその瀟洒(しょうしゃ)な通りを歩きながら、震災後の東京の街のことを考える。

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東京宝塚劇場が開幕したのは1934年1月1日。
関東大震災から十一年目の元日。こけら落とし公演は「花詩集」。
前の年、すでに日本は国際連盟を脱退していて、ドイツではナチが国家政党になっていた。
ちなみに、その劇場は戦後1997年まで建て替えられることなくそこにあったから、覚えている人もいるかもしれない。

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東京宝塚劇場の向かいにあるのは帝国ホテル。
重厚なエントランスと、聳(そび)える高層ビルディング。
かつてのそこはレンガ造りの三階建。大谷石を贅沢に使い、ファサードの車寄せの手前の池には蓮の浮かぶ、フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルだった。
奇しくも開業の日、シェフたちがキッチンで宴の準備に勤しむただなか、関東大震災が起きた。
しかし建物は震災を耐えぬき、ライトの名声も高まったとか。ちなみに、クーラーの効きが悪くて、夏が暑いのは不評だったらしいが。

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『帝国ホテル百年史』を開くと、ホテルで行われたパーティーで供されたメニューも掲載されている。戦時中にもかかわらず、1944年2月15日の結婚披露宴の晩餐は、なかなか豪華なものである。
前菜、クリームスープ、舌平目魚 牛酪焼、オムレツ 野菜添、ニヨツキ チーズ焼、生菜季節物、富士型 氷菓、珈琲。
ニョッキのチーズ焼きなんか実に美味しそうだし、富士型の氷菓なんてのも気になる。
東京に頻繁に空襲があるよりは前のことだが、薄い粥や草の根を啜る人がいる一方で、こんな豪華な食事を楽しむ人もいたようだ。
その後空襲がはじまると、路面電車をまたいだ向こうの日比谷公園には、遺体が並べられることになる。

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日比谷公園をぐるりと歩いてみると、ミャンマーのフェスティバルをやっていた。舞台の袖にはアウンサンスーチーさんの大きな写真が飾られていて、活気あふれるフードテントには米麺や豆のフライが並んでいた。私は甘いミルク紅茶の缶ジュースとスープ入りの米麺を買って食べた。
空は晴れ渡り、おしゃべりに興じる大人たちと駆け回る子どもたち。
いまも、この世界では争いが起きていて、かつてこの場所でも争いがあったということが、にわかに信じられない。

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小林エリカ
Photo by Mie Morimoto
文・絵小林エリカ
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)で第8回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。そのほかシャーロキアンの父を書いた『最後の挨拶His Last Bow』(講談社)、自身初となる絵本作品『わたしは しなない おんなのこ』など。