「花矢倉」と呼ばれる展望台からは、吉野の町並みが一望できる
テーマのある旅 西行法師と春に浸る旅
桜を愛した歌人 西行法師と春に浸る旅

桜を愛した歌人 西行法師と春に浸る旅

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した歌人・西行法師。生涯で2000首以上の歌を詠んだとされ、『新古今和歌集』には94首が収められています。花や月を好み、とりわけ桜を愛した西行は、数多く“桜”の歌を詠みました。桜が開花するこの時期に、西行が眺めた情景を思い浮かべる旅に出かけてみましょう。
文/松尾好江(ランズ)

西行法師をおさらい

元永元(1118)年、紀ノ国田仲庄(現在の和歌山県紀の川市)の武家に生まれ、本名を佐藤義清(のりきよ)といいます。鳥羽院の警護などを行う北面武士として仕えていました。出世が約束された道でしたが、保延6(1140)年に23歳という若さで出家し、西行と名乗ります。出家の理由は、親友の突然の死や高貴な人との失恋などさまざまに伝えられています。その後、西行は吉野山に庵を結んだり、陸奥を旅したり、高野山に入山したりと多彩な出来事のなかで数多くの歌を詠んでいきます。

願わくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ

これは、西行がお釈迦様が亡くなった2月15日に生涯を終えたいと詠んだ歌です。歌に合わせて文治6(1190)年2月16日に、大阪の弘川寺において73歳で入滅しました。

吉野山のシロヤマザクラ
世界遺産に登録されている吉水神社の近くからは中千本、上千本の桜が一目で見られる名所「一目千本」がある
あくがるる 心はさても 山桜 散りなんのちや 身に帰るべき
〈歌の現代語訳〉
花が咲けば心が浮かれ出る、もうそれは一生治らないとしても、
せめて山桜が散ってしまったあとには、我が身に帰ってきてほしいのだが

Spot01 吉野山のシロヤマザクラ

奈良県吉野町

西行法師は、出家後にたびたび吉野山を訪れ、奥千本エリアに庵を結び、3年間ほど隠棲しました。桜のなかでも吉野の桜をこよなく愛したといわれる西行は60首余りの歌を残しています。吉野山は約1300年前、神仙が住む理想郷として知られていました。修験道の開祖・役行者が修行のあと本尊の蔵王権現を桜の木に刻み祀ったことから、桜は「御神木」とされました。その後、行役者が創建した金峯山寺への参詣が盛んになり桜の木は献木として植え続けられました。吉野の桜を見に、西行に憧れた松尾芭蕉をはじめとした多くの文人墨客が訪れています。吉野山には4月上旬から、山下から山上にかけて、下千本、中千本、上千本、奥千本へと約3万本のシロヤマザクラが咲き乱れます。

吉野山の桜 住所/奈良県吉野町
アクセス/電車:京都駅から近鉄吉野駅まで約1時間40分、車:南阪奈道路葛城ICから約45分
電話/0746-32-1007(吉野山観光協会)

吉野山のシロヤマザクラ
西行庵のそばに湧く「苔清水」。西行は「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居かな」と詠んでいる
吉野山のシロヤマザクラ
標高約600~750mにある奥千本エリア。静かに桜を眺められる
吉野山のシロヤマザクラ
吉野山の奥千本エリアの桜に囲まれるように佇む「西行庵」。中には西行像が置かれている。※現在、屋根の修理中
高野山・三昧堂の西行桜
三昧堂の現在の建物は文化13(1816)年に再建されたもの
散る花の 庵の上を ふくならば 風入るまじく めぐりかこはん
和歌山県高野町
〈歌の現代語訳〉
散る花が庵の上に積もり、それを風が吹き散らすようなら、
風が入らないように周りを囲もう

Spot02 高野山・三昧堂の西行桜

高野山・三昧堂の西行桜
三昧堂の前に植えられている「西行桜」
高野山・三昧堂の西行桜
和歌山県橋本市、紀ノ川沿いには、西行が一時期暮らしたとされる「西行庵」がある

西行法師は、久安5(1149)年の32歳頃から約30年間、高野山に草庵を構えました。西行は、高野山で蓮華乗院(現在の大会堂(だいえどう))と三昧堂(さんまいどう)の建立、移築を行います。三昧堂は座主・済高(さいこう)が、延長7(929)年に創建。済高がこのお堂で「理趣三昧」という儀式を行っていたため、三昧堂と呼ばれるようになったそう。三昧堂はもともと、総持院の境内にありましたが、西行によって修造され、現在の壇上伽藍に移築されました。その三昧堂の前には、西行法師が修造した記念に手植えしたとされる「西行桜」が咲いています。また、高野山の近くには、西行が住んだとされる西行庵と、出家した妻と娘を偲んで建てられた西行堂が佇んでいます。

三昧堂 住所/和歌山県伊都郡高野町高野山154
アクセス/電車:南海高野線極楽橋駅から高野山ケーブル高野山駅まで約5分、高野山駅からりんかんバス金堂前まで約15分、金堂前下車すぐ、車:京奈和自動車道紀北かつらぎICから約40分
電話/0736-56-2011(総本山金剛峯寺)

高野山・三昧堂の西行桜
和歌山県かつらぎ町下天野には、この地で生涯を終えた西行の妻と娘を偲んで建てられた「西行堂」がある。建物は昭和61(1986)年に再建されたもの
勝持寺
西行法師が植えたと伝えられる八重桜の「西行桜」。現在咲くのは3代目
花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の 咎にはありける
〈歌の現代語訳〉
花見に多くの人が来ることだけが、惜しむべき桜の欠点だ

Spot03 勝持寺

京都府京都市

保延6(1140)年、勝持寺で出家した西行は、佐藤義清から名を改め、法名を円位といいます。西行は、ここに庵を作り、一本の桜を植えて歌を詠んでいました。西行が自ら植えたとされる八重桜があり「西行桜」と呼ばれています。また、世阿弥作の能楽作品『西行桜』の舞台ともいわれています。白鳳8(679)年、天武天皇の勅命により創建された勝持寺。桜と紅葉の名所としても知られ、古くから“花の寺”とも呼ばれているのです。境内には数種類の桜が約100本植えられていて、毎年4月上旬頃に満開となり、美しい姿を見せます。また、宝物が保管されている瑠璃光殿には、寄木造で漆塗りされた、像高55cmの西行法師像が収蔵されています。

勝持寺 住所/京都市西京区大原野南春日町1194
拝観時間/9:30~16:30(受付~16:00)
拝観料/400円
アクセス/電車:阪急京都線東向日駅からタクシーで約15分、車:京都縦貫自動車道大原野ICから約3分
電話/075-331-0601

勝持寺
不動堂の裏の岩窟中には、弘法大師が眼病祈願のために刻んだとされる石の不動明王が安置されている
勝持寺
濃い紅色の花弁が特徴の「紅枝垂れ桜」
勝持寺
境内にはソメイヨシノなど数種類100本以上の桜が植えられている
西行桜の森
信玄公にまつわる名言の数々が紹介されている
聞きもせず 束稲山の桜花 吉野のほかに かかるべしとは
岩手県平泉町
〈歌の現代語訳〉
聞いたことすらない束稲山の桜花よ
名に知れた奈良吉野の千本桜の外にこれほどの桜の名所があったとは

Spot04 西行桜の森

西行桜の森
木工芸館「遊鵬」に車を停めて、散策するのがおすすめ
西行桜の森
西行が見たであろう、一万本の桜が咲く美しい束稲山の景色をCGで復元した様子

西行法師は、20代後半と60代後半の生涯で2度陸奥を訪れています。そのどちらか定かではありませんが、束稲山の桜を見て、吉野の桜にも劣らない桜があるのだと、感嘆し歌を詠みました。西行が見た束稲山には当時、1万本の桜が咲き誇っていたともいわれています。束稲山は岩手県南西部で、一関市、奥州市、平泉町にまたがる標高596mの山です。平泉町に広がる「西行桜の森」は、かつて桜の名所といわれた往時の姿を復活させることを目的に、オオヤマザクラなど100種3000本余りの桜が植えられています。西行桜の森からは、町の中央を流れる北上川や、西行法師の句碑も置かれている中尊寺などが一望できます。西行桜の森は、例年4月中旬に見ごろを迎えます。

西行桜の森 住所/岩手県西磐井郡平泉町長島深山95-741
アクセス/電車:JR東北本線平泉駅からタクシーで約15分、車:東北自動車道平泉前沢ICから約15分
電話/0191-46-5564(平泉町農林振興課)

西行桜の森
木工芸館「遊鵬」付近からは、平泉の町並みや遠くに中尊寺や毛越寺などが一望できる
参考、引用:『山家集』角川ソフィア文庫/『西行 魂の旅路』角川ソフィア文庫/『西行全歌集』岩波文庫/『西行わが心の行方』鳥影社/中尊寺