
「親が良い仕事を残してくれたから、それを私も一生懸命に磨いてきただけ」と、自らの人生を振り返る金本兼次郎(かねもとかねじろう)さん。うなぎを焼く匂いだけで、その品質やタレの配合まで当てたという偉大な父のもと、幼いころから五代目として教えを受け、生涯うなぎ一筋です。93歳を迎えた今も厨房を取り仕切り、「蒲焼は豆腐よりも崩れやすい」と語る“焼き”の繊細な技も、ますます磨きがかかるばかり。手塩にかけて育てた弟子も数知れず、東京だけでなくパリにも送り出し、江戸前の食文化を世界に広げる立役者ともなっています。

野田岩の創業は200年以上前、江戸時代の寛政年間。初代の岩次郎さんが狐うなぎという当時の人気店から独立したのがはじまりです。その後、すぐ側に水天宮が創建され、店は参拝客で大賑わい。明治4年になって水天宮が移転し、辺りは閑散としますが、それでも野田岩は明治9年に発行された「東都食通番附」にて、序列3位と格付けされるほどの人気でした。昭和20年、東京大空襲で店は全焼するも、秘伝のタレは防空壕にて守り抜き、トタン小屋で営業再開。金本さんが五代目に就任した昭和33年には、ちょうどお隣で東京タワーが完成するなど、激動の時代を乗り越え、江戸前の技を受け継いできたのです。

初代から約200年、タレに使用するのは醤油と味醂(みりん)だけ。そこに素焼きしてから、じっくり蒸したうなぎをくぐらせ、備長炭で少し焼いては、またタレにつけ込む。決して焦げ目をつけることなく、何度も繰り返し焼き、上品な味に仕上げるのが野田岩の流儀です。その際に流れ出す、うなぎの脂がタレの深みの秘訣。「継ぎ足しのタレの味を守るには、質の良いうなぎを丁寧に焼き続けなければいけないのです」と金本さん。幼少期には近所で江戸前の天然うなぎが手に入ったそうですが、次第に仕入先は千葉の浦安や銚子に。やがて九州や香港まで出向くほどになりました。現在、天然ものが手に入るのは4月後半から11月後半ごろまで、これからがシーズンです!



五代目に就任した昭和30年代から、多くの若手職人を育て続けてきた金本さん。「銀座、下北沢、日本橋髙島屋、そしてパリ、どの支店も変わらず、野田岩の味に仕上がっています」と太鼓判を押していました。そして現在、総勢100人ほどになった従業員を守り抜くことも金本さんの責務だと語ります。未だかつて経験したことのない不景気が来ることを予期して、何十年も前から対策を講じ、コロナ禍においても「いいかい、1銭の収入がなくても、お前さんたちに3年間は今まで通り給料を払うから。1人として首はきらない。心配するな」と従業員一同を激励したそう。今、日本が失いつつある心意気。それを伝えるためにも、金本さんは焼き場に立ち続けているのかもしれません。


[DATA]
五代目 野田岩 麻布飯倉本店
(ごだいめ のだいわ あざぶいいくらほんてん)
住所/〒106-0044東京都港区東麻布1-5-4
電話/03-3583-7852
定休日/日曜日、土用の丑の日
(月曜不定休、夏季休暇、年末年始休暇あり)
営業時間/11:00~14:00、17:00~20:00(時間変更の場合あり)
座席数/75席(テーブル16席、座敷59席)
アクセス/都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅から徒歩5分
駐車場/無(東京タワーパーキングセンターと提携)