小林エリカの旅と創造 幽霊譚

小林エリカの旅と創造

#22 幽霊譚
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蔦の絡んだ薄暗いトンネル。
由緒正しきホテルの廊下。
山の手にあるちょっと細い坂道。
あのあたりには、でるらしい。
噂を囁き合ってちょっと背筋が寒くなる。

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基本的に私は怖い話は苦手なのだが(夜本気でトイレに行けなくなる)、ひとたび幽霊譚に巡り合うと、どうにも惹かれてしまう。
東京の靖国通りのそばには「番町皿屋敷」のお菊が帯を引き摺りながら駆け抜けたことに由来する「帯坂」があるらしい、そんな話を聞きつけ、ついつい足を運んだこともある。

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二十代の頃、私は結婚式場の配膳派遣アルバイトをやっていた。
都内のあらゆるホテルへ出かけた。
山の上ホテルにも、グランドハイアットへも行った。
ホテルの裏口から中へ入るとそれぞれの制服に着替え、ビールケースを運び、テーブルクロスにアイロンを掛け、皿を運び、ワインやビールを注いで回る。
式が終わってからは、ひたすら残った飲み物や食べ物をバケツに掻き集めて、裏へ運ぶ。

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なかなかの重労働だったが、バイト代もまあまあだったし、何より興味深かったのはその裏で語り継がれる幽霊譚であった。
一番迫力があったのは、サンシャインシティ。
何しろそこはそもそも戦後A級戦犯が処刑された、巣鴨プリズンの一部なのだから、たとえ作り話だったとしても、説得力がある。

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一昨年ロンドンへ行った時のこと、夜中にホワイトチャペルのあたりを歩いたら、やたら大勢の人が集まっていた。
何かと思えば、一九世紀末に起きた切り裂きジャックによる連続殺人事件の現場を歩いて回るガイドツアーなのであった。薄暗い街なかの小さな広場で、三十人あまりの人が真剣にガイドの説明に耳を傾けていた。
結構な人気ツアーのようで、翌晩も、また大勢の人が集まっていた。聞けば他にもロンドンの幽霊屋敷を巡るツアーなんかもあるらしい。
はっきり言って、何が人気になるかわからない。

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幽霊譚があるということは、言い換えれば、歴史があるということでもある。
過去のその場所に生きた(あるいはそこで死んだ)人や、その時代に思いを馳せるものだとすれば、なかなか味わい深い。
実際そこへ行けば、その人(幽霊?)に会えるかもしれないともなれば、なんとなく「推しに会える!」に近しい興奮も感じなくもないし、人間の業や非情を知るにはうってつけかもしれない。

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東京のあちこちに伝わる幽霊譚。
うらめしや〜。
幽霊にお目にはかかれるかどうかはさておいて、その場所を巡ってみれば、そこには新たな世界があるかもしれない。

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小林エリカ
Photo by Mie Morimoto
文・絵小林エリカ
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)発売中。