海をゆく冒険旅行

旅と創造

連載第14回


文・絵 小林エリカ

私がはじめて船に乗ったのは、小学生のときに北海道へ渡るために一泊したフェリーであった。当時はまだ北海道新幹線が開通していなかったのだ。
おぼろげな記憶では、灰色の絨毯が敷かれた広間みたいなところで、大勢の大人たちがオレンジ色の毛布をかけてごろごろしていて、窓の外には海が見えた。
船は波が荒かったのか随分揺れて、母は船酔いしていた。
けれど、私は船が大きく傾くたびに声をあげてはしゃぎ、楽しくて仕方がなかった。まるで自分も大航海の冒険に出かけているような気分になれたから。

というのも、その頃の私は、手づくりヨットで世界一周の旅をしたという三人家族の話に夢中だったからである。
奇しくもヨットの名前はなんと私の名前と同じエリカ号。
冒険家長江裕明と妻のジェニファー、そのヨットの名にもなった娘の絵梨佳(出航当時4歳、私と年もほぼ同じ)が、4年9カ月をかけ、25カ国、約100の港を巡ったというのである。

父方の祖父母の家がある愛知県蒲郡市を訪ねた時、竹島水族館にたまたまそのヨットが展示されていた。どうやら、かのヨットが長年の旅の末に帰港したのが蒲郡だったという縁があったらしい。
それを見た私は、いっぺんに夢中になった。
白いマストが高く伸び、船体には赤いライン。
真っ赤な文字でERIKAの名も刻まれている。
まるで私のヨットみたい!
幼稚園にも学校にも行かず、このヨットに乗って世界中を旅して回るなんて、想像しただけで胸が踊った。
恐らくその水族館で買ったのか、我が家には長江裕明氏による「地球少女エリカ―世界1周ヨットの旅」という本もあったような記憶がある。

結局、私は未だ世界一周どころか、ヨットさえ一度も乗ったことがないまま大人になった。
数年前久々に蒲郡を訪れた時、もうかのヨットは老朽化により撤去されてしまったという話を知った。
蒲郡の駅前にはピカピカの巨大なモールができていて、見違えるような場所になっていた。けれど、その真新しい建物の向こうには、やっぱりかわらず、海が見えた。

いま、ちょうど私の娘が4歳になる。
そう、私ではないエリカが、あのエリカ号で航海に出かけたのと同じ年である。
娘は部屋の中で、ひたすらダンボールの船を走らせている。
荒波をかきわけて進み、釣った魚でシチューを作り続けている。
いまや娘は、ひとりで世界をもう何周もしているらしい。

小林エリカProfile
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)発売中。