果てしなく到着しない旅

旅と創造

連載第9回


文・絵 小林エリカ

テレビではフットボールの試合が中継されていて、その手前では英語を話すビジネスマン風の人がひとり、ハンバーガーを齧っている。
私はその手前で、呆然としたまま、フライドポテトにケチャップをかけていた。
どう見てもここは外国。いや、私は実際、あと何時間かすればフランスのパリにいるはずなのであった。カフェでカフェクレームなんかを啜っていたかもしれないというのに。
しかし、ここは日本の千葉のヒルトン成田だ。
そう、私はパリ行の飛行機に乗り遅れるという失態を犯したのであった。

その日の朝に限って洗濯機が壊れたのが、不運の始まりだった。床に溢れた水を拭いたりしているうちに家を出るのが少々遅れた。まだそれは致命的ではなかった。ところが、飛び乗ろうとした山手線が人身事故で止まっていた。そこで、なんとかタクシーに乗ったのだが、金をケチって空港まで行かずに新宿駅へ行ったのが間違いだった。成田エクスプレスに乗ったところ、これまた遅延が重なり、遂には予定時刻になっても成田空港には到着することなく、我が飛行機の「出発」の文字を携帯画面で見まもるはめになった。
勿論、私の落胆は甚だしいものであった。
今更トランクを引き摺ってふたたび家へ帰るのも癪だったし、洗濯機も壊れたままだし、私は成田空港に近いホテルに泊まることにした。
果たしてヒルトンまではどうやって辿り着いたのかさえもう憶えていないが、パリで泊まるはずだったホテルは払い戻し不可の予約で、航空券は水の泡となり……恐ろしく高くついた失敗だった。
しかしその奇妙な一泊は、思い返せば、どこでもない場所に浮遊したような、案外貴重な体験でもあった。

振り返ってみると、私の旅はいつもとにかく、まっすぐには目的地に到着しない。
飛行機にはじまり、電車やバスにも乗り遅れる。
無事に乗れたとしても間違った方向に乗る、間違った駅で降りてしまう。
先日も、越後湯沢へ「大地の芸術祭」を観に行って、東京へ帰ろうと思って新幹線に乗って気づいたら新潟駅に到着していたのであった。我ながらさすがに驚いたが、新潟駅の構内で寿司を食べてのっぺい汁を飲んでから帰った。

住み慣れた東京の街でも、私は結構同じ調子で、乗り慣れたいつもの電車でさえ、乗り過ごしてしまう。スマートフォンでニュース(しかもゴシップとかくだらないやつ)を見ていたりすれば、間違いなく乗り過ごす。

以前はこんな失敗を繰り返すたびに、私はひどく落ち込んでいた。
時間も金も無駄ばかりだし、なぜちゃんとできないのかと本気で正座で反省したこともあった。
しかしどうやって反省したところで、失敗は少しも減らない。
しょうがないので、仕事の時なんかには1時間前に到着するように出かけることにした。大概、そうするとぴったりの時間に着く。
そうしてついに昨今は、これもまた私の旅だと思うことにした。
目的地へ到着することだけが旅ではない。
到着しないこともまた旅なのだ(と信じたい)。
ハンバーガーものっぺい汁も結構美味しかったし、まあいいか。

小林エリカProfile
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)発売中。