バスに乗る

旅と創造

連載第8回

文・絵 小林エリカ

6時10分発。国際興業バス石神井公園行き。
冬だと、まだあたりは薄暗い。陽が昇る前の時間である。
息を吐くと、それが宙で白く煙った。
勿論眠い。
バス停までは、キャベツ畑の脇を抜けて約7分。
いつも寝坊をして走るから約5分。
子どもの頃、私はバスを二本乗り継いで、小学校へ通っていた。
学校は家から遠かった。そのうえ8時というごく早い時間にはじまるものだから、毎朝、始発のバスに乗らなくてはならなかった。

始発のバスというのはなかなかおもしろい。
その時間のバスに乗るにはそれなりの理由がある人ばかりなわけで、大概、同じメンバーだった。
それぞれが座る席なんかも、暗黙のルールで決まっている。
左側の一番前の席にいつも座るのは、毎朝バス停でタバコを吹かしながら缶コーヒーを飲んでいるおじさん。冬になると、赤い毛糸の毛玉だらけの帽子をかぶっていた。
その後ろの席には、ちょっと化粧の濃いおばさん。おばさんはよく、バスの中で手鏡を広げて、毛抜で鼻の下の毛を一本ずつ抜いていた。
途中から乗り込んでくるのは、灰色のセーラー服を着た高校生。色白の美人で、いつか私も大きくなったらあんな風になりたいものだと、密かに憧れていた。
私の席は、右側の前から三番目。ちょうどバックミラーに自分の姿が映って見える席。こっそりミラーを覗き込んでは髪型を直したりするのが好きだった。
それぞれ言葉や挨拶を交わすわけでもない。
けれど奇妙な連帯感はあった。
バスに乗り込んで、いつものメンバーがひとりでも見あたらないと、落ち着かなかった。ひょっとして、病気でもしたのかな、とか気を揉んで、翌日またいつものようにその人が現れると、どこか嬉しい気持ちになった。
ところで、あのおじさんとおばさんは、何の仕事をしていたのだろう。
あのお姉さんも、今はもう、私とおなじくおばさんになっているのだろう。
私はあのバスに12年間乗り続けた。
小学生だった私は高校生になって学校を卒業し、始発のバスに乗る理由がなくなった。

いまも私はバスが好きだ。バスによく乗る。けれどもう右側の前から三番目の席には腰掛けない。デザインがすっかり様変わりしてしまったから。この頃は後部座席のほうが心地良い。
窓から射し込む光が、カーブに差し掛かり、ゆっくりと移動してゆく。
扉が開く前の空気の抜けるような音。独特のエンジン音。
風景が流れるように過ぎてゆく。

小林エリカProfile
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)発売中。