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約100年前に誕生したロール捺染。大量生産を目的に生まれた手法でしたが、需要が減り後継者がおらず、多くの同業者が廃業に追い込まれるなか、竹野染工は付加価値の高いモノづくりに転換。不可能と思われていた‟ロール捺染の両面染め”に成功しました。

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  • 世界で唯一の両面染め技術で

    ロール捺染を発信/竹野染工

手ぬぐいの染色方法は注染、プリント、ロール捺染の3つ。なかでも竹野染工が得意としているロール捺染は、今や職人が全国で10人以下ととても少ないのが現状です。専用の機械も6台しかなく、そのうち2台は同社が所有。「70年以上使い続けている古い機械です。これが壊れてしまうと技術継承ができません。なんとかこの技術をつなげないと」と3代目社長・寺田尚志さん。とても貴重な設備と職人の技術を間近で見せてもらいました。

お話を聞いた人:竹野染工株式会社 / 代表取締役 寺田尚志さん

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ロール捺染は、柄が彫り込まれた金型に染料を流し、そこに晒を押し当てて染めていく技法。染めから乾燥までの工程が1台の専用機械で完了します。金型は柄ごとに変える必要があるため、工場内には数えきれないほどの種類がずらり。大きいものは女性の力では持ち上げられない重さです。職人志望の女性が訪れることもあるそうですが、まずは型の入れ替えという大きなハードルがありそうです。

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「ロール捺染の一番ミソの部分を教えます」と寺田さんが見せてくれたのは、意外にも刃。捺染の最中に無駄な染料を落とすための刃です。なんとこれも職人の手づくり。ステンレスの金属片をやすりや砥石で時間をかけて研ぎ刃に仕立てます。手ぬぐいの柄をキレイに出すには刃が鋭い方がいいけれど、薄過ぎると強度がなくなってしまう。刃が完璧でないと柄がぼやけ、染め直しになるため、微妙な研ぎ具合を見極められるようになってやっと一人前の職人になれるそうです。

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染料はすべてオリジナル。ベースとなる50以上の色をブレンドしながら新しい色を作ります。0.1gの配合の差で違った色合いになるため、表現は無限大。また粘度も重要で、しゃばしゃば過ぎてもねっとりし過ぎてもいても染まりにくいため、微調整するのも職人の仕事です。色止め剤となる糊も自社製品で、生地がパリパリにならず色落ちしにくいものをつくっています。

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    ロール捺染を発信/竹野染工

手ぬぐいファンのなかには、注染こそ本物といったような考えの人もいるそうで、ロール捺染は染色技術として目立ちにくいのが実状でした。「注染も素晴らしいけど、ロール捺染も同じくらい職人の技量が必要」と誇りを持っていた寺田社長は一念発起し、裏まで染料を深く染み込ませたリバーシブル染めと、表と裏で色が違う両面染めを開発。「これは世界でうちの職人しかできない独自の技術です」と、片面プリントのみだったロール捺染から新たな価値を見出しました。

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リバーシブル染めと両面染めの技術を使って、2017年には自社ブランド「hirali」と「Oo(ワオ)」を立ち上げ。「手ぬぐいに興味がない人に、いくら手ぬぐいの魅力を伝えても響かない、そう感じたから」と、商品ラインナップはアパレルをメインにし、これまでとは違うアプローチで発信を始めました。

機械も職人も残りわずか。

守るために、攻めに出た。

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手ぬぐい以外でのアピールを目指し
ファッショナブルなアイテムを発表

「hirali」は、両面染めの手ぬぐいでつくった日傘やストールなどがラインナップ。ひらりと返すと違う色が見える楽しさを提案しています。「Oo(ワオ)」は、ロールに見立てた輪っか状の首の肌着専門ブランド。軽くて乾きやすい晒の特長を生かしつつ、両面染めだからこその美しい色合いが目を引くアイテムが揃っています。自社ブランドを立ち上げた背景は、見飽きられている手ぬぐい以外の商品でアピールをしたかったから。結果「キナリノモール」などのオンラインショップでも取り扱われるようになり、着実にファンを増やしています。

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職人としては一人前じゃない、
だからこそ生まれたものがある

学生の頃にバックパッカーを経験し、旅行会社に就職するも先代が急逝し24歳で染色の世界へ踏み入れた寺田社長。職人として技術を磨きながら、27歳の若さで代表取締役に就任しました。「染めの職人は、一人前になるには最低10年はかかる世界。僕は4年弱しか職人経験がなく、一人前とはいえません」。だからこそ、無謀と思えたロール捺染の両面染めにも果敢にチャレンジ。ブランド化に関しても「ずっと工場の中にしかいなかったら、思いつかなかったと思う」と振り返ります。

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「手ぬぐいの町・堺」を広め
この伝統技術を後世に残したい

「生地を織る織工場、生地を漂白し染めやすい状態にする晒工場、そして僕らのように晒を染める染工場、これがひとつの町で完結できるのはここ堺だけ。なのに、この町に住んでいる人ですら堺は手ぬぐいの町だと知らない人が多い」と語る寺田社長。認知度アップのため、地元の中学校や特別支援学校の職業体験を積極的に受け入れています。なかにはロール捺染に興味を持ち、同社に就職した学生も。「まずは地元の人に堺の手ぬぐい産業を知ってもらい、次の目標は、僕の息子世代までロール捺染の技術を受け継ぐことですね」。

注染を武器に、手ぬぐいを若年層に広めた立役者

手ぬぐいに触れる、買いに行く