旅色プラス
旅色のファンコミュニティ「旅色LIKES」で実施した第一回ライター講座。メンバーのうち30名から「人に教えたい旅体験」をテーマとした原稿を募集しました。その中で優秀作品として編集部が選んだ記事をご紹介します。水害からの復活を願って書かれた、なおさんがかつて旅した肥薩線の魅力に迫ります。
なおさん
大学生のころから鉄道旅行が好きで全国をくまなく旅行しています。旅先では温泉に入ることも好きでプランの中に毎回温泉を組み込んでいます。また、京都は毎年ほぼ季節ごとに行っており、寺社を訪れて四季折々の景観の変化を楽しんでいます。
令和2年7月に熊本県を襲った水害。その水害によって氾濫した球磨川の傍を走るJR肥薩線は甚大な被害を受け、1年たった今でも復旧作業は手つかずの状態です。私は水害の4か月前の3月に肥薩線を旅していました。どこをとっても見どころたっぷりの肥薩線。いつか必ず復活することを信じてその沿線の旅をご紹介したいと思います。
肥薩線は熊本県の南部、八代駅から内陸の人吉駅、吉松駅を経由して鹿児島県の隼人駅を結ぶローカル線です。
明治42年に開業した際は鹿児島本線を名乗り博多から鹿児島に向かうメインルートで旅人の重要な足となりましたが、昭和2年に東シナ海沿いのルートが開業するとこちらが鹿児島本線となり、この路線は肥薩線と改称されました。先述の水害の影響で、現在最南部の吉松駅から隼人駅まで以外の区間は不通になっています。
私の旅は南の起点隼人駅からスタートしました。2両編成の気動車に20分ほど揺られると嘉例川駅に到着。ここで下車すれば明治36年に開業したまま残る、歴史を感じさせる趣深い木造駅舎が出迎えてくれます。
鹿児島空港からほど近いこともあってか空港から車で見学に寄る方も多く来ていますが、やはり鉄道駅には鉄道で訪れたいもの。そしてこの駅の名物はただ駅舎が古いということだけではなく、土日祝日のみの時間限定ですが駅舎内でやまだ屋さんのお弁当を買うことができます。「花の待つ駅かれい川弁当」は、地元の黒米に粟を炊き込んだご飯に甘い卵焼き、がねと呼ばれる鹿児島の郷土料理を合わせた素朴なお弁当です。ローカル線で次の汽車を待ちながらのんびりお弁当をいただくのはまさに旅の醍醐味です。ほかにもたけのこご飯にしいたけ、こんにゃく、がねなどを乗せた「百年の旅物語かれい川」弁当もあります。
なお嘉例川から列車に乗り2駅先の大隅横川駅も明治36年の開業時そのままの木造駅舎が残ります。米軍の空襲を受けた跡が柱に残ることでも有名な駅です。
嘉例川から40分で都城方面への分岐駅である吉松駅に停車。ここから先、人吉駅までは急勾配を越えるため全国屈指の鉄道の難所と言われ、これを克服するための様々な工夫など多くの見どころのある区間となります。各駅で観光のための停車時間が5~6分あるものの35キロの道のりを約80分かけて走行します。吉松駅から列車はゆっくり険しい山を駆け上がってゆき真幸(まさき)駅に到着。明治44年の開業当時の駅舎がそのまま残っており、日中の列車が着いた時には駅舎内で記念品を販売する地元の方がお出迎えしてくれて名前の通り人の気持ちを幸せにしてくれます。
ここの駅は険しい山中にあるためスイッチバック構造になっており、一旦真幸駅に入った後来た道を戻り、別の線路に入って人吉方面に向かってまた登っていくという構造になっているのも特徴です。
肥薩線の車窓で最大のハイライトはここから次の矢岳駅に行くまでの間。カルデラの向こうに霧島連山とえびの高原が広がる大パノラマを望むことができ、その雄大な景色はまさに感動もの! 観光列車いさぶろう・しんぺいはこのポイントに合わせてしばらく徐行してくれます。絶対に見逃したくないポイントです。
鉄道三大車窓と呼ばれる大パノラマを堪能し、肥薩線で最も標高の高い矢岳駅を過ぎると大畑(おこば)駅に向かいますがここもまた大きな特徴のある駅です。矢岳駅から大畑駅の間は240メートルもの高低差があるため列車はここを直線的に走行することはできず、これを緩和するためにぐるっと輪を描くように1周して一旦行き止まりの線路に入り真幸駅と同様スイッチバックして駅に進入、さらに出発する際にまたスイッチバックするという全国でもここだけの極めて珍しい形をとっています。
この駅の周辺は設置当時から民家はほとんどなく汽車の給水場としての機能を持った駅で、給水塔などその名残が残る鉄道の歴史を感じさせてくれる施設も残っています。なお、誰が始めたかわかりませんが、大畑駅に名刺を貼ると出世するという都市伝説があり、古い駅舎の中はびっしりと名刺が張り巡らされています。私も出世を願いこっそりと貼ってきました。みなさんも来訪時には是非1枚いかがでしょうか?
険しい山岳地帯を抜けると列車は人吉盆地に入り、沿線最大の町人吉に到着します。球磨地域の観光の拠点として栄え、球磨川下りや武家屋敷といった観光資源に恵まれています。そしてこの地は温泉も湧く土地。駅から徒歩7、8分ほどの球磨川河畔に大きくはないですが温泉街があります。泉質はしっとりとした優しい肌触りで肌に潤いを与えることから美人湯とも言われています。私は都合もあって泊まれませんでしたがローカル線の旅の疲れをいやすためにここで観光しがてら一泊するのも一興です。
人吉に来たら絶対に乗りたい列車があります。JR九州は島内各地にD&S(デザイン&ストーリー)列車と呼ばれるデザイン性の高い観光列車を走らせています。この人吉駅から熊本駅までを走るのは「かわせみやませみ」号。球磨川流域に生息するやませみ、かわせみをモチーフにした深い青と緑色の車体。内装には人吉球磨の木材がふんだんに使われており森林浴をしながら列車に運ばれているようです。
列車は2両編成でかわせみ車両とやませみ車両があり、車内には無数のかわせみ、やませみの可愛い絵が描かれているのも特徴的です。
かわせみ車両ではカウンター席があって球磨川の流れを目の前にしながら旅行を楽しむことができますし、やませみ車両ではグッズ、お弁当に軽食、名物球磨焼酎を販売する売店も備えられています。普段旅行に鉄道をあまり使われないみなさんもぜひ一度乗ってみてもらいたい列車です。ローカル線の旅の常識が変わると思います。
さて、この列車に乗るのがお昼時ならぜひ乗る前に買い込みたいのが駅弁です。車内でも「球磨の四季彩弁当」というオリジナル弁当が購入できますが、人吉駅では今ではすっかり見かけなくなった駅弁の立ち売りがあり、菖蒲さんというこの道50年の大ベテランの売り子さんが駅弁を販売しています。栗めしと鮎すしがありますが、酢に付け込まれた開き鮎が酢飯の上に大胆にのっていてこの上ない美味の鮎すし、炊き込みご飯に大きな栗をごろっと乗せた栗めし。ともに甲乙つけ難い一品です。
人吉駅を出てしばらくすると列車は球磨川を右に見たり左に見たりしながら八代方面へと向かい、清流の水の青さが旅人の目を癒してくれます。球磨川は清流であるほか流れが急な川としても知られていることから先述の球磨川下りのほかラフティングも楽しむことができ、渡駅はその出発点となる駅です。また、縁起のいい名前で知られる一勝地駅は合格祈願の記念切符が販売されています。近くには一勝地阿蘇神社もあって合格祈願やスポーツ選手が訪れることもあるそうです。
さらに川を下った先にある坂本駅では伝統の藁細工でお出迎え。私たちの目を楽しませてくれます。「かわせみやませみ」号はこれらの駅で若干停車、おもてなし休憩が行われて特産品の販売が行われます。
人吉駅から1時間ほどで肥薩線の終点八代駅に到着。さらにこの列車は鹿児島本線に入り熊本まで進みます。
どこを切り取っても飽きることのない素晴らしい肥薩線の旅。残念ながらこれができたのは令和2年7月まででした。豪雨被害によって沿線は壊滅的な被害を受け、復旧の計画すらできていません。定期利用の乗客が少なく復旧するかどうかさえ怪しい状態です。地域観光も温泉旅館は一部休業中、川下りもまだ再開できていません。ただ「かわせみやませみ」号については博多駅から門司港駅間を走り、いつ故郷の肥薩線に戻ってもいいようにスタンバイを続けています。復旧への道のりは極めて厳しい状況ですが、これに屈することなくいつかご紹介した旅がまた再現できる日が来ることを願っています。
◆行程 ※2020年3月下旬
隼人905-929嘉例川1030(特急はやとの風2号(臨時))1111吉松1141(しんぺい2号)1258人吉1325(特急かわせみやませみ4号)熊本1508
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