[タベサキ Vol.5]
もし村上春樹が食べ歩きをしたら ぶらり、村上さんぽ
深大寺そば
東京都
2019.04.25
タベサキ
文体模写の鬼才、菊池良氏が、村上春樹風の食べ歩き記事を書く連載、第5回。今回は、蕎麦の名所として知られる、深大寺をぶらり。
イラスト:中根ゆたか
湧水天もり/1,450円
数分前からお腹がすいてからというもの、ぼくは深大寺そばのことだけを考えていた。
「しんだいじ」
「じ・ん・だ・い・じ」と彼女は言った。それが「深大寺」の正しい読み方のようだった。何かを芯から断ち切るするような言い方だった。
ぼくは首をひねりながら言った。「正しい読み方を知らないことは、悪いことかな」
「悪くない」と彼女はあきれたように首を振る。「だけど、少し間抜けだわ」
調布駅から出発したバスに乗りながら、ぼくはそのことを思い出していた。「じ・ん・だ・い・じ」と噛みしめるように言った。これから深大寺に行ってそばを食べるのだ。バスには途中で二十人ほどの老婦が乗ってきた。理由はよくわからない。
深大寺のバス停に到着して、走ってきた道を戻るように五分ほど歩くと、「湧水(ゆうすい)」というそば屋があった。同じ通りには何件もそば屋が並んでいる。この地域には良質な湧き水が出るので、そばが栄えたとのことだった。
十四時を過ぎていたのにほぼ満席状態だった。座敷に座ると「湧水天もり」を注文した。一四〇〇円。少し高いかな。思わず頭によぎる。いや、そんなことはない。自分に言い聞かせるように首を振った。大人なら問題なく払える額だ。
「高くて美味しそうな料理と、ほどほどの価格でそれなりの料理があったら、ぼくは常に美味しそうな料理の側に立つ」
運ばれてきたざるを前にして、ぼくは肯いた。とても美味しそうだ。箸を持って、一気にすすった。コシが強く、密度の高いそばだった。風味が鼻を通り抜けた。ぼくが求めているものだ。そのまま何も考えずにただそばを食べた。しあわせな沈黙だった。
食べる前と食べたあとでは、何もかも変わっていた。ぼくは満腹になっていた。かつては空腹だった。今から五分前のことだ。
帰りのバスで、ぼくの手には『ゲゲゲの鬼太郎』の人形焼きが入った袋が握られていた。寺の近くに「鬼太郎茶屋」というグッズを売る店があったのだ。見ていたらほしくなった。それ以上でもそれ以下でもない。
DATA
深大寺 手打ちそば「湧水」
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住所
東京都調布市深大寺元町5-9-1
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TEL
042-498-1323
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営業時間
10:30~17:00(延長の場合あり)
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休日
木曜日(例外もあり)
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備考
予約不可
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Profile
ライター。学生時代に公開したWEBサイト「世界一即戦力な男」が話題となり書籍化、WEBドラマ化される。その後、WEBメディアの制作会社や運営会社勤務を経てフリーに。主な著書『世界一即戦力な男』(フォレスト出版)、『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社)などがある。
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